うさぎりんごです
今回も母の記事ですので、私の腎臓のことは後日書きたいと思います
今月に入ってから夏に脳梗塞を起こした時に運ばれた病院のリハビリ病棟に無事に戻ることができました。
2ヶ月ちょいの大学病院での母の入院生活…。
今のリハビリ病棟に戻るまでにもぉ1つ手術を受けないといけないのですが、今のところ落ち着いてるので、先にリハビリ病棟でリハビリしてからでもいいとのことで、来年の1月半ばまではリハビリに専念できることになりました。
が、ここで大学病院でのほぼ寝たきり生活がかなり影響…
ごはんをベッドの端っこに足を下げて、サイドテーブルで食べていて、食べ終わったらしばらく座るのではなく、ベッドに横になる…というのをずっとしていたようです。
なので、車椅子にも30分も座れないし、食後もすぐに横になりたいとグズる
今のリハビリ病棟に戻るまでに検査の為に他の民間の病院にいてたのですが、そこの看護師さんもとても困っていた
民間と大学病院ってなんでそんなに看護に差があるの?
民間の病院では、いくら一般病棟であっても寝かせっぱなしは無い
正直、もっと早くに大学病院を退院させたかったのに、なかなか主治医からの連絡もなければ、看護師さんに言っても『伝えておきます』のみで返事なし
大学病院の手術で悪いところがなくなったのに、ほぼ寝たきりになってる
最悪や。
正直、がっかりでした
今のリハビリ病棟も日数制限があります。
今はコロナの影響で面会もできなくなってしまって、看護師さんに週に1度テレビカードを買うのもあって、病院へ行って様子を聞いたら、リハビリ終わったらほぼテレビを見ているようで、テレビカードの消費もハンパない
本人のヤル気もなくなってしまったのだろうか。
せっかく大きな手術を乗り越えたんだから、もう少し頑張って欲しい。
脳梗塞の影響でヤル気もなくなるのだろうか。
そんなヤル気の無い母に対して、今まで関わってきた事が無駄のようにも最近は思いだしてきた。
あの『生きたい』と言った言葉…忘れちゃったのかな…。
脳のダメージで本来の母をそうさせてしまってるのなら、諦めるしかないのか。
私の名前もいまだに言えません。
指を指して『あんた』と言います。
疎遠だった事をその『あんた』という言葉で私は思い出してしまいます。
やっぱり距離を置く…っていうことが、私と母には必要かもしれない。
手続きやら、本人ができないことは私がやると決めたのでやるけど、もぉその後は自信ありません…。
施設入所したら、少し身を引くことにします。
自分が壊れないようにするためにも。
あと少し、あと少し、がんばります。