「もう二度と会いになど行くものか。
人を馬鹿にするにも程がある。」
劉備の怒りに徐庶が宥めに入った。
「孔明は何処にも仕官していない自由人です。たまたま、将軍がお訪ねの時,不在だっただけです。彼は軍師として,きっとお役に立ちましょう。」
徐庶の言葉に思い直した劉備は,二回,三回と孔明を訪ねた。
悔しい思い以上に切実に軍師が欲しかったのだ。
二回目も会えず、三回目に出かけた時は,むしろ諦めの境地であった。
在宅と言われた時は耳を疑った程だ。
初めてあいまみえる二人の間の時が止まった。
見つめ合う二人。
劉備は思う。
「若い!。臥龍か。優秀とはいえ未経験者ではないか。しかし,なにかしら,惹かれるものがある。孔明はどう思っているのであろう? 他家以上に私には仕官しないであろうな。やむをえまい。」
ところが、思いがけなくも孔明は言った。
「貧宅に度々おいでくださいましてありがとうございます。将軍のお噂はかねがね徐庶から伺っておりました。お目にかかれて心より嬉しく存じます。」
孔明は当然のことのように,劉備の現状分析と対策を提示する。則ち、「天下三分の計」の披露であった。
孔明は劉備に仕えるものと,始めから決めていたような口ぶりである。
以外な展開に劉備は戸惑った。
「貴方は私に仕えてくれるというのか?確かに軍師殿は欲しい。が,私は領土も持たぬ。ましてや曹操から追われる身。それはおわかりか?」
孔明は答える。
「これは将軍と私との間に結ばれた運命でございます。抗うことなどできはしません。」
かくて,水魚の交わりと後々劉備が語る,固い信頼で結ばれた主従が生まれたのであった。

新野から遥々,隆中の孔明さんの家を訪れる道すがら,劉備は徐庶から言われたことを反芻していた。
頭脳明晰であることは疑いもないが,少々変わり者だという。学問を学んだものなら誰しもが仕官の伝を求めて東奔西走する今日,自分から売り込むどころか,声がかかっても無視をして,27歳になっても僅かな農地からの揚がりで細々と暮らしているという。

聞けば,荊州国守劉表の後妻と諸葛亮の黄夫人の母親とは姉妹だというではないか。優秀な人材なら劉表が見過ごすはずはない。

まして姻戚関係にあるなら尚のこと,放っておく訳がない。

にもかかわらず無官というのは解せない。見かけ倒しの食わせ者か。徐庶に一杯食わされたか。

しかし,切れ者の徐庶がこんな子供騙しみたいな真似をするだろうか。

徐庶は私に仕官したくないばかりに無能な男を紹介して、こちらから断るよう画策したのか。

それとも諸葛亮という男,尋常では推し量れない大器なのか。

何はともあれ,会ってみることだ。

会ってみればわかる。

この眼で見抜くことだ。

だが,徐庶の言うとおり優秀なら,なぜ,仕官しないのだろう。

大国魏からの招きを待っているのか。

だとしたら,領土すら持たぬ私の軍師になってくれるはずもない・・・か。劉備は心の中で迷いに迷っていた。
軍師は欲しい。喉から手が出るほどに欲しい。

一介の小軍団の棟梁で終わりたくはない。

ここまでつき従って来てくれた家来たちにも報いてやりたい。

よし、徐庶を信じて、諸葛亮に会おう。<やっと心を決めて隆中に向かった劉備であった。

三顧の礼の第一回目の訪問である。

心を決めて訪れたのに諸葛亮は留守だという。
外界と接触を好まぬ隠遁者ではなかったのか。

どこに出かけたというのだ。留守のはずがないでないか。やはり、私に会う気は初めからないのだ。どこかの大身に仕官の面接にでも行ったに違いない。悔しいが、ここで騒いでも始まるまい。諸葛家の家人にみじめな姿をさらしたくはない。ここは余裕を見せつけねばなるまい。「突然伺ったこちらの落ち度です。ご主人にお留守に伺った無礼をお詫びしていたとお伝えください。また、お伺いさせていただきます。」劉備は内心、忸怩たる思いを抱きつつ帰路に着いた。

国の国盗りは大盗賊の歴史であると、「中国の大盗賊・完全版」に書かれています。

漢の劉邦から現代に至るまで王国を打ち建てたものから、すぐに滅んだものたちまで凄まじいエネルギーで庶民を巻き込み、奪い尽くしたかのようです。

比べて日本の国盗りの何と穏やかに感じられることでしょう。

昔の武士は中国の孔子などをお手本に学んだのだと理解していますが、お膝元の中国では孔子の教えはあまり歓迎されず、孔子自身召し抱えられたことはないと聞いたような気がします。

中国においては現実的な教えではなかったということなのでしょうか。

そんな中にあって、孔明さんが仕えた劉備という人はどんな気持ちで蜀漢をたてたのでしょう。

孔明さんに会うまでの劉備はしだいに大きくなっていったとはいえ、公孫瓉から袁紹、陶謙、曹操、劉表と主君を換え、庇護者を換えて、結局は領土も持てぬ小盗賊集団にすぎないようです。

その劉備が孔明さんに会って一年程で、荊州南部の領主になるのですから、孔明さんとの出会いが劉備の人生の転機だったのでしょう。


劉備の心の中を覗いてみたいですね。


小軍団の頭梁のまま、雇われ将軍で一生を終わるのか。それも、戦場で野垂れ死にかもしれません。

迫りくる曹操への恐怖。

漢王室の末裔と言いながら王室からは程遠い位置にある劉備。

一度は献帝から曹操討伐の密勅を受けた劉備。

しかし、今は、自分の身すら危ういのです。

このどん底から這い上がりたい。

王室再興はできずとも、せめて、どこかの領主になりたい。

つき従ってきた家来たちにも報いたい。

だが、もう、若くはない。

劉備に足りないものは知識人。軍師と呼ばれる人だ。

徐庶がいる。劉備と気の合う徐庶。徐庶を迎えたい。

徐庶には無頼の過去がある。人を殺めたことがある。

そんなことは意に介さない劉備だが、徐庶のほうが、一枚上手だ。

見込みのなさそうな将軍に仕えるのはごめんだとばかり、友人を紹介してきた。

二人でなら、仕えるという。

臥龍という噂は聞いたことがある。彼がそうだという。

もう、後がないのだ。

どんな男かわからないが、会いにいくしかあるまい。

こうして、三顧の礼は始まったのでした。