数千人以上入る会場にチケットを買って1組のアーティストのライヴを観に来たことが今まで一度もなかったのだが
この10月末に初めてツアーライヴを観賞した。
アーティスト名をここに書くと検索ヒット率が上がる可能性があるので控えたい。
初めて彼らの音楽を聴いたのは7年前。
それ以来アルバムを買っており、DJする前から曲を集めている唯一のアーティストだ。
チケットは先行抽選権の代金含めて1万少々。
そのおかげか知らないが、ステージからかなり近い位置の席(スタンド席を指定)だった。
会場中央よりの音がまとまった所が本当は良かったのだが、勝手の知らないギュウギュウ詰のアリーナを避けたのだから仕方ない。
今回は大勢の客を相手にする巨大な演出と、世界が認めるアーティストのパフォーマンスのパワーを体感するのが目的で、ように社会勉強だ。
早々に感想を書いてしまうと、良い景色と空気感だった。
なにより彼らの歌、MCから伝わる熱意、ロックの精神というべきものをぶつけられた様な感じで、楽しいというより感動的だった。
しかし、物足りなさも感じた。
何故そう感じたのかは明白で、オーディエンスとアーティストが共に盛り上がることで完成するライヴであるとはいえ、主体はアーティストでオーディエンスはそれに追随する関係にあり、既にクラブ等で自分が主体である、そう錯覚する空気に浸った経験がある俺には、それでは完全燃焼できなかったのだ。
更に、今回のアルバム収録曲は日本でメジャーなロックのサウンドテイストが薄い曲ばかり。
既に長年のファンが周知のアンセム曲の演奏時とそれらの演奏時のオーディエンスの反応差が極端で、その光景が俺にはひどく残念に思えたのだ。
そんなライヴの後半、彼はステージ上でこんなニュアンスの言葉を放った。
「今までと雰囲気が違うし、英語も増えて曲が難しく感じていると思う。そんなことは俺たちが一番よくわかってる。
でも俺たちは今より先に進むんだ。昭和の大人たちが作ったルールに従わない。
いつだって俺たちはそれに中指立ててロックをやってきたんだ。」
正確に一言一句覚えていられる記憶力はないのだが、だいたいこんな感じの言葉だった。
昭和の大人が作った日本のルール。
ボーカルの彼が歩んだ道筋を断片でも聞いたことがある人ならば、これが何を指した言葉なのかを想像するのは容易かもしれない。
大観衆を前にして堂々と言い放つ、既存のモノに媚びないその姿勢が凄くかっこよくて、おそらくあの場に居た俺も含む何割かの人達は省みるモノがあったのではないかと思う。
あ〜、だから俺は彼らの音楽に惹かれたんだな。
そう思えたのだった。
.........さて、話を少し変えて音の話をしよう。
アリーナ会場という広い空間ともなれば、どんな音になるのだろうかと耳に神経を集中して観賞していたわけだが、
えー、簡単に言うと大音量が一方通行で抜けていく。
クラブやライヴハウスは広さの大小あれど、大抵は重低音をプッシュしていることや壁が近いこともあって音の反射が重なって音が充満して厚みが出る。
ダンスする人が好きな音はこの厚みがあって耳だけでなく体幹で聴かされているかのような音だと思っているのね。(そんな音量を聴いているからクラブにハマった人はだいたい耳が悪くなるんだが)
それがあのアリーナ会場ではなかったのよ。
大音量なんだけど音が抜けていく。
そういう会場だと爆音が流れているのに隣近所のお客さんの声が普通に聴こえるんだな。
プロが大衆に向けて作る音ってこんな感じになるんだ〜とライヴとは別の感動をもらってきた。
それを経て思ったんだけど、ライヴ聴くならストリートのこじんまりとしたライヴハウスの方が俺好きだな〜と。
つまり体に悪い方が好きだと。
嗜好品の方が良いな〜と、そういうことですよ。
グダグダですが以上。
Ed