小池龍太オフィシャルブログ「りゅーたin Free World」Powered by Ameba -5ページ目

宮城県 4月24日




二日目


岩沼市











朝8時半。


この日は朝からボランティアセンターに向かった。



到着してすぐに受付の窓口に向かったけど、すでに100人近くの人が並んでた。

俺らもその列に並んだけど、俺らよりも結構前の方で、その日のボランティアの受付を締め切られてしまった。。











前の日から俺らはなにができるかをずっと考えてた。









この日はなんでもやろうと決めた。













そこから車で30分ぐらい走ると、仙台空港が見えてきた。


遠めで見ると、普通の空港だけど、近づくとここもやっぱり地震の爪痕が残ってる。








そこから数100メートル走ると、景色が一変する。








畑であったであろう場所にも瓦礫や車の山。

津波で押し寄せた海水がまだ全然ひいてなくて、海か湖に見えるぐらい。

そこに何本か走ってる細い道。


両脇には崩れた家がたくさん見える。







前日は大雨だったけど、この日は晴れてた。

それだけに、遠くのほうまでハッキリ見えた。





ここもほんとにひどい被害を受けてる。






周りを見ると、まだなんとか残っている家の周りに、持ち主らしき人がいるのも見える。










俺らが声をかけていいものか。


逆効果にならないか。




頭の中で何度も考えた。






今までもたくさん考えたけど、



この時もいっぱい考えた。











車をゆっくり走らせながら友達の1人が、街のほうに戻った方がいいんじゃないかと言い出した。


だけどその時に、車で前を通った家の敷地で作業をしてる人を見かけた。

見た感じ60歳前後に見えたかな。



俺は車から降りて、その人に話し掛けに言った。









頭の中でいろんなことを想像してた。










この日行ったボランティアセンターでの話をして、東京から来たことと、なにかやらせてもらえることはないかと。


そのお母さんが、奥にいたお父さんを呼んで事情を説明してくれた。






手伝わせてくれることになった。









不謹慎かもしれないけど、うれしかった。



なにかをやらせてもらえることがうれしかったのと、そのお父さんとお母さんの俺に対する対応や口調がすごく優しかったから。








車に走って友達2人を呼びに行って、

なにをさせてもらえるかをお父さんとお母さんに確認しながら作業を始めた。




ここの家は大きくて立派な家だった。


だけど、家の中はビニールシートなどがしいてあって、海水が流れ入ってきたことが一目でわかる。


ただ、今まで見てきた家よりある程度整っていたから、おそらく震災から1ヶ月半の間に家の中は片付けたのだと思う。





家の横に農業用のビニールハウスが3個あった。


そこはまだ手付かずの状態で、ビニールハウスの中は瓦礫だらけ、

外側からは、震災前までそれに乗ってお父さんが畑に行っていたという軽トラックが、斜めになった状態で突っ込んでる。

その荷台には泥が敷き詰めるように乗っていた。


その奥に入ると、作業道具を入れてあったであろう四畳ほどの小屋がある。


そこも、中から溢れだしてる泥と瓦礫が見えてる。

その小屋の壁と、となりの壁に業務用であろうかなり大きな冷蔵庫が逆さになって挟まって宙に浮いてる。


それ以外にも全ての物がありえないかたちで散乱してる。






とにかくハンパじゃない。







でも、微力かもしれないけど、できるところまでやりたいと思った。

この後、俺らが東京に帰れば、お父さんとお母さん2人でやらなきゃいけない。



果てしなすぎる。。












みんなでやれるとこまで本気でやろう!!



3人で決めた。














二日目



岩沼市 午後







4時間ほど作業をして、お父さんとお母さんと一緒にお昼休憩を取ろうということになった。


敷地内の車庫の前のスペースに箱2つの間に板をわたしたテーブルを置いて、箱5個を椅子として並べた。


お母さんが、「こんなものしかないけど。。」

と、カップラーメンを差し出してくれた。




うれしかった。



だけど、俺らの車には食料は豊富に積んでたから、


逆に車からたくさんの食料を運び出してテーブルに並べた。



お父さんもお母さんも漬物が好きだからたくさん食べてくれた。





この日はほんとに快晴だったから気持ち良くも感じた。







お父さんお母さんとはいろいろな話をした。


最初はお互いぎこちなかった。



さっき会ったばっかりだから当然だけどね。

だけど、午前中一緒に作業をして、こうやって同じテーブルを囲んでる間に、

そのぎこちなさもいつの間にかなくなったように感じた。





そんな時、そのスペースの横にある、お父さんお母さんの家を見上げた。

高さにしたら3~4メートルぐらいのところに線が入ってる。













津波の跡・・・。。











その跡を見てまた現実に戻った。









聞きづらかったけど、お父さんとお母さんに地震の日のことを聞いてみた。



2人ともたくさん話してくれた。









地震が起きた時間帯、2人は家にはいなくて街に出ていて助かったこと。







でも、周りの家の方は11歳の子供を含めて9人が亡くなってしまったこと。







家に戻ってきた時の我が家の様子。







ボランティアや国の手が全然行き届いていないこと。










今の現状、これからの生活。















俺らがここに来て、やっていることなんて、



ほんとにすごくすごく小さくて、たいした意味を持たないことかもしれないという現実をまた改めて感じた。











これってもしかしたらただの自己満なのかもしれないね。。

















1日の作業が終了した。















最初に決めた目標のところはどうにか終わることができた。





ものすごい料の泥と瓦礫が積み上がってる。








俺ら3人とお父さんお母さんの5人だったからできた作業。







明日からはまたお父さんとお母さんの2人でやらなきゃいけない。


見た目で見えるだけでも、まだまだやらなきゃいけないことがたくさんあって、


正直、終わりの想像がつかない。






その状態でこの場をあとにすることに、すごく悔しくて、なんとも言えない気持ちになった。











このお家のような家が数えきれないほどあるだろうし、もっともっとひどいところもあると思う。







どうか1日も早く元の生活に戻ってほしい。


















東京に住んで、不自由のない生活をしてる俺なんかがそう願うことすら間違ってるかもしれないけど・・・


















最後、お父さんお母さんとお別れする時、2人が俺らに言ってくれた言葉。




















「おいしいトマト送るから!」




















俺は、一生忘れないし、一生楽しみにトマトを待ってる。






























宮城県 4月23日



みなさんお久しぶりです。




だいぶ時間が経っちゃったけど、読んでもらえたらうれしいです。













前回のブログで書いたように、地元の友達と3人でたったの3日間だけだけど、

なにかできることはないかと思い、


3月11日に起きた、東北地方太平洋沖地震の被災地である宮城県の仙台市、石巻市、岩沼市に行ってきました。


















一日目。


石巻市。








着いたこの日に1番最初にしたことは、




事前に調べておいた子ども非難所センターというところを訪ねて、そこの集会所に集まっている子ども達に、


持っていったクッキーをあげて、少し一緒に遊ばせてもらった。







約1ヶ月前にあんな大変なことがあったとは思えないぐらいみんな元気で、



逆にこっちが元気と勇気をもらってしまったよ。。












次に向かったのは石巻市にある1つの非難所。





車に詰められる限界量の救援物資を届けに行った。



少しでもなにかの足しにしてもらえばと、周りのたくさんの人達から渡された救援物資。








当然のことながら、非難所にいる人達はみんな疲れ切った表情をしてた。。












俺はね、被災地に入る前にいろんな覚悟をして行ったの。



テレビやその他の情報より現実ははるかに厳しいものだろうと。



だけど、それでもそこの非難所に着いた時、本当に胸が締め付けられた。








本当に本当に被災者の人達は苦しんでる。



疲れ切ってる。










東京で何も変わらない毎日を過ごしてる俺らが、


その人達にかけられる言葉はなにもないと感じた。

正確には、言葉をかけられる立場ではないと思った。






いろんな覚悟はしていたけど、それでもあまかったんだよね。。








俺らは、ただただ救援物資を車から運びだして、指定の場所に置いてくることしかできなかった。








なにかできることをと、イキって被災地に行くことにしたけど、



その時に改めて、


俺らは無力すぎてなにもできないまま東京に帰ることになるかもしれないと思った。













非難所をあとにして、


俺らは石巻市の中でも被害が大きい海沿いのエリアに向かって車で走り、


一件の家でも1人の人にでもいいからなにかやれることはないか探しに行きました。





景色がどんどん変わっていって、それと同時に俺ら3人とも話すことすらできなくなった。

















本当にひどい・・・












尋常じゃない量の瓦礫の山・・・













積み上げられた壊れた車・・・













めちゃくちゃになってる家やお店・・・













道路脇のガードレールに乗り上げてる船・・・
















全てがありえないような光景で、自分が今見てる物が現実だとはとても思えなかった。







だけどこれは現実。














しばらく誰もしゃべれなかったけど、


ようやく1人が、「ここは俺らができるようなことはない。かえって迷惑になるから、一度町に戻って考え直して話し合って出直そう」って言った。



俺も黙ってうなずいて、その場所をあとにした。












衣食住は全て自分たちで用意して、現地では食べ物も飲み物も買わないようにしようと決めてたし、


寝るのも車で寝ようと決めてたから、



車内で寝袋に包まって、この日は眠りに就きました。













なにかできることを



3月11日(金)に発生した三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。








今回、いろんな人たちからの協力を得て、



今日の深夜からたったの3日間だけど、東北地震の被災地に行くことになりました。






自分たちになにができるのか。






正直わからないけど、



なにかできることがあるんじゃないか、


 

なんでもいいからやらせてもらえることはなんでもやらせてもらおう。





その気持ちから、被災地に行くことを決めました。







現状をなにも知らない今の俺が、何かを言える立場ではないと思ってるので、



久々のブログ更新だけど、今日はこの辺で終わります。