宮城県 4月23日
みなさんお久しぶりです。
だいぶ時間が経っちゃったけど、読んでもらえたらうれしいです。
前回のブログで書いたように、地元の友達と3人でたったの3日間だけだけど、
なにかできることはないかと思い、
3月11日に起きた、東北地方太平洋沖地震の被災地である宮城県の仙台市、石巻市、岩沼市に行ってきました。
一日目。
石巻市。
着いたこの日に1番最初にしたことは、
事前に調べておいた子ども非難所センターというところを訪ねて、そこの集会所に集まっている子ども達に、
持っていったクッキーをあげて、少し一緒に遊ばせてもらった。
約1ヶ月前にあんな大変なことがあったとは思えないぐらいみんな元気で、
逆にこっちが元気と勇気をもらってしまったよ。。
次に向かったのは石巻市にある1つの非難所。
車に詰められる限界量の救援物資を届けに行った。
少しでもなにかの足しにしてもらえばと、周りのたくさんの人達から渡された救援物資。
当然のことながら、非難所にいる人達はみんな疲れ切った表情をしてた。。
俺はね、被災地に入る前にいろんな覚悟をして行ったの。
テレビやその他の情報より現実ははるかに厳しいものだろうと。
だけど、それでもそこの非難所に着いた時、本当に胸が締め付けられた。
本当に本当に被災者の人達は苦しんでる。
疲れ切ってる。
東京で何も変わらない毎日を過ごしてる俺らが、
その人達にかけられる言葉はなにもないと感じた。
正確には、言葉をかけられる立場ではないと思った。
いろんな覚悟はしていたけど、それでもあまかったんだよね。。
俺らは、ただただ救援物資を車から運びだして、指定の場所に置いてくることしかできなかった。
なにかできることをと、イキって被災地に行くことにしたけど、
その時に改めて、
俺らは無力すぎてなにもできないまま東京に帰ることになるかもしれないと思った。
非難所をあとにして、
俺らは石巻市の中でも被害が大きい海沿いのエリアに向かって車で走り、
一件の家でも1人の人にでもいいからなにかやれることはないか探しに行きました。
景色がどんどん変わっていって、それと同時に俺ら3人とも話すことすらできなくなった。
本当にひどい・・・
尋常じゃない量の瓦礫の山・・・
積み上げられた壊れた車・・・
めちゃくちゃになってる家やお店・・・
道路脇のガードレールに乗り上げてる船・・・
全てがありえないような光景で、自分が今見てる物が現実だとはとても思えなかった。
だけどこれは現実。
しばらく誰もしゃべれなかったけど、
ようやく1人が、「ここは俺らができるようなことはない。かえって迷惑になるから、一度町に戻って考え直して話し合って出直そう」って言った。
俺も黙ってうなずいて、その場所をあとにした。
衣食住は全て自分たちで用意して、現地では食べ物も飲み物も買わないようにしようと決めてたし、
寝るのも車で寝ようと決めてたから、
車内で寝袋に包まって、この日は眠りに就きました。