桑の実の色づく頃には | Ryu's note

Ryu's note

札幌で演劇なんてやっているりゅうのすけの、
ただの「ノート」として。
ほら。いろいろ書いて残しとかないと、忘れちまうからさ。

半月ぶりくらいの更新。

忘れてた訳じゃなくて。

特にこれといって書くことないかなーと思ってたけど、そういえば舞台観たし、それの感想でも書くかなー書くかなー書くかなー……と考えているうちに、けっこう時間があいてしまった。

…忘れてた訳じゃなくて!

 

$Ryu's note-表紙

~故きを温ねて新しきを知る音楽劇~

昭和琴似恋愛譚【桑の実の色づく頃には】

6月9日、観劇。

ハムさん脚本の、まっつ演出。

友人知人も出演している市民劇である。

劇場で渡されたパンフレットの裏面に、まっつのコメントが書いてあったのだが。

「いやー、演出って大変だあ。」

の一言しか書かれていないことにニヤリと笑ってしまったのは言うまでもない。

お疲れ様です。

ストーリーは、太平洋戦争末期の日本。

琴似にある神社を舞台に、キリシタンの青年と、彼に恋する神社の娘、田舎からお見合いするために出てきた青年、街を守る駐在や、特別高等警察などの面々が、とりあえず入り乱れる。

それぞれの人物のストーリーがあり、包括的に一言で表すのは難しい。

それこそ、「昭和で起きた琴似の恋愛譚」である。

あらすじとかは書くの面倒なので書かない。

きっと忘れない。大丈夫。覚えてる。大丈夫。

 

娘想いの頑固親父な宮司と、赤狩りを冷酷に遂行する特高のふたりがお気に入り。



宮司は、娘にお似合いの男を引き会わせるべく裏で奔走。

それが裏目に出て娘の顰蹙を買おうとも、彼自身は娘のことを第一に思っている。

キリシタンの青年に対しては、自らがキリシタンであることを隠したまま近づいてきたことに反発し、

「隠し事をするような奴に娘はやらん」

と言い切る。

宗教の違いを受け入れた懐の広さ、ではなく。

娘を想うからこそ、目についた気に食わない部分が気にくわない!という理由である。

お見合いしにやってきた青年が、米や野菜をたっぷり持ってきたことに対しても、

「米で娘を釣るような奴は!」

と突っぱねる。

考えすぎではないか、とも思える言動だが、大事な娘のことを想うならば考えすぎのほうがよいのかも知れない。

最終的に、娘とはだれとも結婚させないと言い出す宮司。

戦争に行って死ぬかもしれん奴と結婚させるわけにはいかない、と。

当時戦況は悪化の一歩を辿り、玉砕する部隊まで現れた頃。

南方戦線などは壊滅の危機に瀕していただろう。

そのような時代背景の中、戦地へ死ににいく男に大事な娘を嫁がせてどうする、という結論に至った宮司は、キリシタンの青年と見合い相手の青年とに頭を下げ、食いついてきた娘に手を上げ、酒を煽る。

箱入り娘にしたい、可愛いから嫁に行かせたくない、といった感情ではなく、父親として娘を案じている。

反感を露にする娘。

親戚との付き合い。

そして、一億総特攻の時代へ移りゆく国。

その全てに対する、「父親」という「個」の悪あがき。

彼の視野や世界は狭いものだっただろう。

だが、彼の見ていた世界はとても真っ直ぐで、純粋だったのかも知れない。

故に、戦争という異物が自分の世界に入ってきたとき、その異物に自らの生活も翻弄され、娘の存在が大きく揺らいだ時。

娘を守る方法は、その異物から遠ざけ、安全で、平和で、落ち着いた環境……自らの知り得る世界の中心にのみ、引き留めておくことだった。

彼にはそれしかなかったのかも知れない。

その様子が比較的コミカルに描かれているが、彼の悩む姿は本物だ。

だからこそ、彼の世界から最終的には飛び出していってしまった娘のことを、彼はどう思ったのだろうか。

娘のいない世界を、彼はどう生きたのだろうか。

 

特高の刑事は、今作で単純に分類するならば「悪役」である。

キリシタンの青年を共産主義者と断定し、彼と交際している神社の娘も共犯として逮捕しようとする。

国家の非常時に愛だの恋だの、そんな自由な思想が秩序を乱す。

そう真剣に考える彼は、国家の代弁者ではなかった。

少なくとも自分にはそう見えた。

彼の思想は、確かに国家の思想であり、特別高等警察の思想であった。

だが、洗脳じみた植えつけられた考え方ではなく、彼独自の考え方の発展形と、取締を強化していく国家の方向性とが一致しただけなのではないかと。

彼の存在は、今作において必要悪ではあったが、絶対悪ではなかった。

(この場合の「必要悪」は、作品に大きくストーリー性を持たせる上で必要な悪役という意味であり、「絶対悪」は、民衆から見れば相対悪だったかもしれないが、絶対的な意味を持つ悪ではなかったということ)

彼の考え方は正義であり、戦時中の国家を安定させ戦争に集中するための知恵であった。

故に、秩序を乱すものはなんであれ悪であり、乱すかも知れない潜在的なものですら悪だった。

そのまっすぐな考え方が、「悪役らしさ」を彼から感じさせない要因だったのかも知れない。

特高の彼と、キリシタンの青年が銃を向け合うシーンは、「悪の組織の尖兵に対抗する正義の主人公」の図では決してなかった。

「自らの正義を信じて銃を向ける男と、自らの存在を賭して守りたいものを守ろうとする男」の、真っ白なぶつかり合いである。

久しぶりにきれいな真っ向勝負を見た。

プラズマニアの深海シティアンダーグラウンドでも、男と男のぶつかり合いはあった。

だが、本人たちも言っているとおり、「八つ当たりかも知れない」戦いであり、「気が済まない」「気に食わない」が故のぶつかり合い。

文字通り刀と刀を激しく打ち付けあい、互いの気持ちを叩きつけ合う姿。

今回はそうではなかった。

銃口、その先。

まっすぐに、冷静に、相手の脳天なり心臓なりを狙って、目を細めている。

射抜く、という表現がまさに適切だった。

あの場に悪などというヒール的存在はいなかったのである。

まぁ、友人に「刑事とかそう言うのが好きなだけでしょ」と言われたが、実際それもちょっとある。

格好良かったんだもん。

 

……やっべ。

書きすぎた。

意外と書き過ぎちゃうわコレ。やばいわ。

あくまで一個人の感想だし掃き溜めブログだから、これを呼んでどうこう、とか思ってもらわなくていいです。

取り敢えず今後、見た芝居や映画、読んだ小説なんかも忘れないうちに書き留めていく所存。

自らの忘備録として、ね。

 
$Ryu's note-まっつ