さて、とても懐かしい呼称を使ってしまった。
もうこの呼称が使われることが無いのだと思うと、少しさみしい。

さて本題。

いきなりこんな懐かしいものを引っ張り出してきたのには、当然理由がある。
志位独裁政権下の日本共産党で起こった粛正に関して書くためだ。


散々言われていることだが、話し合いで解決しろとか、民主主義を壊すなとか主張している日本共産党の執行部は、とても共産主義者らしい方法で問題を解決した。
このことから、明らかに、共産主義者に政権を取らせることの危険性を認識できたと思う。
いやまあ、そもそもとして、政権を取った共産主義者が世界中でやってきたことを思い返せば、日本共産党の所業はむしろ可愛いとさえ言えるかも知れないが、それは少し話が違うのでこれ以上は触れない。

さて、数年前まで安部独裁政権を許さないとか騒いでいた人達は、今どうしているのだろうか?
きちんと志位独裁政権を許さないと叫んでいるのだろうか?
それとも、独裁政権とは無関係に何か叫んでいるのだろうか?

いや、これはそもそもの認識が違うのかも知れない。
志位独裁政権と主張しているのは、俺の独裁に関する定義が根本になっているからで、他の人には違う定義があるのかも知れない。

ちなみに俺の独裁に関する定義は以下の通り。

個人もしくは団体を、社会的に、あるいは物理的に粛正することが出来る、個人または団体を言う。

上の俺の定義からすれば、日本共産党という社会から反対者を粛正してしまった志位政権は、間違いなく独裁政権である。

とは言え、あくまでもこれは俺の定義であって、他の人とは考えが違うだろう。
例えば、しばらく前に倉山満氏が定義していたように(最近定義が変わったかどうかは未確認)、権限がないのに口を出すことを独裁だというのならば、日本共産党について詳しくは知らないが、志位政権は独裁していないことになるはずだ。

さて、少し話が変わる。

おかしな事に、各種報道機関は日本共産党の志位政権が独裁だと騒いでいない。
最低限でも、異論を封じ込めてしまっているにもかかわらずだ。
いや、異論を封じ込めて異物を排除してしまったことこそを、積極的に批判しなければおかしいはずなのに。
多文化共生とか、多様な価値観とかを大事にするならば、行動が全く伴っていない。

さて最後に。

ずいぶん遅いじゃ無いかと思う人もいるかも知れないが、忘れた頃に蒸し返すことで問題を再確認するためだ。
何事も記録して蒸し返すことは重要だと思う。(いやな言い方だな、ええ?)


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