SCOUTING FOR BOYS
#令話6年能登半島地震に被災された皆さんにお見舞い申し上げます。
ボーイスカウト時代、とりわけ 僕の在籍した 東京・世田谷第7団 に於いて最もポピュラーで白熱した遊びが 【尾っぽ取り】 だった。
原型は、小学生スカウトにやらせる【尻尾取りゲーム】で、ネッカチーフをズボンのベルトに挟んで 尻尾に見立てて2チームで対抗戦・・・
文字通り、その尻尾を相手に抜き取られたら死亡。^^
だが、我が7団の場合は伝統的に 普通の 尻尾取りゲームとは一線を隔した過激な取組みが為されて来た。
小学校2年生の頃から 営々と鍛えられて来た そのゲームを、中学生になっても その集大成として 夏のキャンプで 戦わせるからであった。
一週間、山中に籠もった生活をしつつ、キャンプサイトの開拓に勤しみ、食卓や便所、炊事場などを 総員7~8名の各班毎に、立体的・機能的に構築する 班作業はもちろん、同時に4班を2つに分けた連合軍同志が、其々の陣地建設に共同作業で精を出す・・・
2~3日もすると、林の中に 約100mを隔てて 2階建てや3階建ての 立派な?櫓が出現する。
それらの陣地には、迎撃用の 泥団子手榴弾が数百個備蓄され、周囲には 塹壕、落とし穴、はたまた囮の砦まで出来上がり、準備万端で戦闘開始のホイッスルを待つ訳だ。
白鷹組連合の砦にて。
キャンプ最終日の前日は、バトルの日である。
ルールは非常にシンプル。
やぐら内部地表に設置する自軍の旗を守りつつ、敵軍との交戦を掻い潜りながら敵陣に突入し、旗を奪って自軍の砦最上部に早く掲げた方が勝ち・・となる。
尻尾取りゲームの概念は、戦闘に於ける生死の判定のみ、完全なる旗取り合戦なのだ。
全軍突撃も良し、護りを固めて迎え撃つも良し・・・
だが、最善は 最下級生一人に陣地を任せ、攻撃力に物を言わせた方が勝つ事が多かった。
独り応戦する若き1年生に、怒号を浴びせながら襲い来る2、3年生の群れは、さながら コヨーテの集団に囲まれても なお、牙を剥き遣り合うマングース・・・の様相である。
一方、攻撃隊でも同様の戦闘が繰り広げられている・・・
この時ばかりは日頃の先輩後輩の上下関係は無く、敵兵同士なのである。
小さな身体ながらも、死に物狂いで襲い掛かってくる下級生の闘魂の形相は、寧ろ恐ろしいものがある。
小さな下級生も3人で来られると、上級生でも 一溜まりも無いのだ。
休戦時の一コマ・・・ 満身創痍の我が将兵。
結果的に 殴る、蹴るも入り混じった壮絶な戦いとなって行く・・・
だが、戦い終わらば 元の仲間同士、互いの武勲を讃え合いながら、大営火(キャンプファイヤー)で一気に盛り上がり、最終日の夜を迎える。
翌日は 「撤営!」 の合図と共に、その数分前まで製作・改善し続けた班サイトや、砦をぶち壊し始める。
撤営までは設営なのだ。
バトル de KARUIZAWA。 今は この森は無い・・・
その後、鬼の様に厳しいリーダー達の 点検で 幾度もダメ出しを食らいながら、
麻紐の切れっ端一本残さず野営地を後にする。
感謝の念だけを残して・・・。
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