こんにちは

 

観えるもののことを「可視」というのなら、物ごとの大半は「不可視」の方で決まっていくような気がいたします。

 

「可視」が「具体的」という意味であるのなら、そうではない方でたいがいのことは動いて行くのかもしれません。

 

観えていて具体的であるものは、それが誰にでもほぼ平等に理解できるのでしょうが、実は観えなくて重要であるものの存在が何であるのかは、なかなかわかりにくいのかもしれません。

 

自分に味方などいなくとも、そのあたりを得ていくとすると、人生は佳境に入って行けるような気がいたします。

 

 

 

それではまた。