こんにちは


車で道路を走っていると、「優しくしてやろう」と「意地悪してやろう」の両方が、誰にでもどの車にもあるのがよく分かります。


その相反する情緒は、そうしてやらないと人が困るのだろうなと思う時には優しさが勝る場合が多くて、自己中気味の車などに対しては、「そうはさせないぞ」と思う場合が多いのかもしれません。



少し前に「不寛容」の番組の話題を書きましたが、人は寛容と不寛容を無意識に使い分けている場合が多いのかもしれません。


それを「切り換える線」のようなものの境目が、つまり「その人の人間性」と同じような意味であるのかもしれません。



その番組で学者が、「不寛容は生存欲求だから」と言っておりましたが、それは少し違うのだと思います。

多くの場合、人は「不寛容」というよりは、ただ「未熟」なだけなような気がいたします。


「優しくしてやろう」という思いは、「不寛容というデフォ」からは生じ得ないのだろうし、それ(意地悪や不寛容)は、「まだ未熟なのだから」という起点から観てみると、かなり合っているような気がいたします。






それではまた。