こんにちは


ここの所、知人や後輩から「生きる中でのつらさや重さ」のようなことで話す機会が増えました。


すべては先方の意識や境遇についてなどですが、今夜も長時間の通話が今終わったところでした。


人の一生というものは、元々はそれなりに壮大であるのだと思います。


ただ大半のできごとは、生まれ初めて遭遇する経験であるので、困惑したり苦悩することの連続であるのでしょう。


今日、あの自動車メーカーのM社が、N社の傘下に入ることの報道がなされました。

すべてを取り仕切るGさんが、いくつかの番組に出演されておりました。


発言の論理に一貫性があって矛盾がなくて、その中身の整合性がうまくとれていると、人はそこでまぎれもない真実が語られているように思い込むのだと思います。


思い込むという意味は、その真偽の疑義についてではなくて、そう納得するしかないから、という論法や話術としての高等性であると思われるということです。


確かに人の心の中では、常にその「正当性」というものを根底に置いて物事を考えるのだと思います。


「あなたにその説明責任がありますよね」という意味の趣旨の質問をキャスターが多くしておりましたが、グローバルな民間企業の海外の責任者に投げかけるべき本来の肝心な要素から考えれば、そこではないのかもしれないな・・・とも思うのでした。


ジャーナリズムというものは、あらゆることに対する「洞察」や「知見」に基づいたかなり超越したレベルを具備できていなければならないのだと思います。


「物事の本質を探ること」とは、そうたやすいことではないのでしょうから。



それではまた。