こんにちは


最近はよく「(自己)承認欲求」という心理学の上での言葉が使われるようになりましたが、これはつまり「自分の事が(相手や周囲に)確かに認知されたのか・しっかりと認められたのか」「自分は大切に扱われたのか」という事に対する感情なのでしょう。


対同性・異性を問わず、人間関係の基本をなす意識というか情緒なのでしょうね。


それはつまり「無視された・シカとされた」「馬鹿にされた」「軽蔑された」「相手にされなかった」などと思えた時に、反転して起こる「承認されなかった」憤りなのでしょう。


確かに人の心には、大なり小なりそのような系統の回路は誰にもあるのかもしれません。

それは認められないよりは、認められた方が良いに決っているのでしょうし。


ただひとつ問題である事は、「認められるに足りうる内容」であるのかどうかという事もあるにはあるのだろうし。


私は以前、例えば「修行僧」は誰かに認められたくて修行をしているのか・・・と考えた事がありました。

その答えは、多分「NO」なのでしょう。


では彼らは何のために荒行苦行を繰り返すのかといえば、それはきっと「自分と向き合う」「自分を戒める」など、人間の内なるものに対する自らへの「克服」「克己」という精神であるのだと思います。


少なくともそこには、「(他から自らへの)承認欲求」は存在しないのでしょう。


そこから学ぶ事があるのだとすれば、人間は社会や人から認められたかどうかが生きて行く上で「最も重要な事」なのでもなくて、それは自からのもっとずっと「内側」にあるはず・・・という事なのかもしれません。


人間が出発すべき原点が、「外」ではなく「内」であるのかもしれないのだとするならば、その方がむしろ人生は、生きるという事は、ずっと「取り組み易い」ような気も致します。


人生は何事も「自分次第」であるのかもしれない・・・という意味で。




それではまた。