こんにちは


今日ネットで目にした記事で、こんな内容のものがありました。


上場企業の大きな財閥と言えるほどの一族の中のある会社の60代の社長である旦那を、奥さんが訴えて裁判が行われているのだけれど、その内容が内容なだけに、話題になっていると。


その社長の旦那の女性遊びがひどくて、夫婦共有であるべき家の財産を旦那が女性遊びで一方的に浪費しているのは、自分(奥さん)の得られるべき蓄財に損害が出ている、という訴訟内容なのだそうです。


記事には、その旦那の行状がどういう事なのかが詳しく書かれておりました。

それに使う金額とか、今までの相手の人数とか。


こういう話は、どこかの学校の教頭ではないけれど、社会には定期的によく出て来ているような気が致します。


人それぞれというか、男もそれぞれという事はともかくとして、どういう生き方をして来ると、こういう男ができるのでしょうね。


そういう男の人たちは、多分人生で本当の「恋愛」という事の経験が「無いに等しい」人たちなのだと思います。


人間は、「自らとの葛藤」の中で生きて行く部分は決して少なくはないのだと思います。

その意味では、男も特に若い時期には、多くの葛藤を重ねるような経験をする事になるのですが、その中で学んだり得たりして成長して行く事が多いのだと思います・・・異性との恋愛の経験も併せて。


しかし、そういう流れの中で、「正常進化」の過程がアンバランスになると、ある種様々な「男の形」に変貌して行ってしまうのかもしれません。


男と女というものは、少なくとも、その「数」にこだわるものではないのでしょう。


「数」を挙げてそれを自慢するような人たちの感覚は、「本当の恋愛」を知らないか、それを経験していないという事実経過を明らかにしているようなものなのでしょう。


「羨望」という言葉があるのですが、冒頭の社長の旦那のような行状や生き方を「うらやましい」と思っているようでは、「男もまだまだ」なのでしょうね。




それではまた。