こんにちは


太宰治は、「家庭の幸福は諸悪の根源」という意味の論調を常々書いておりました。

これはしかしよく読んでみると、建前や制約の中での「幸福」に縛られるくらいならば、たとえ孤独でも「自由で本音」で生きた方がまだ良い・・・という意味なのだと思います。


確かに人生は自由で本音で生きた方が、ある意味で「幸せ」なのかもしれません。

私もそう思います。


ただ人間は、たとえそれが建前や制約の中であっても、「家族や家庭の存在」以上のものは無い・・・と思って生きて来ている人もまた、特に日本のような「儒教的」な精神の中では多いのだと思います。


私は度々書くのですか、17才の時に生家が家庭崩壊・一家離散になってしまったので、好むと好まざるとに関わらず、「家族や家庭」というものの「本質とは何なのか」について、青年期から考える機会がたくさんありました。


でその結果は、「結局個人の幸せが最優先」なのだという方向に落ち着きつつあります。

その論拠を書くと長くなるので控えますが、自分の人生は「誰のために何のためにあるのか」という所を集中して的を絞って考えてみると、それは結局「自分のため」なのでしょうね・・・究極的には。


「人間は」というか、日本人は、その辺りの優先順位について、少し考え違いをしているのだと思います。


もっとも私は、自分の生まれ育った家族や家庭については、「誇り」と「感謝」を忘れてはおりません。

自分が大人になってみて、両親や祖父母がどういう人生を生きていたのかがよく分かったからなのです。


人間は過ちや失敗もするものだし、その結果が「家庭崩壊」になってしまったのだとしても、それもそれで「人生のひとつの展開」なのだと思います。


人間、失うものが無くなると、そこで学んだり得る事が、実はまたたくさんあるのですよ。



今日の画像


ワンボックス



中に入ってみたけれど、何もニャい


1曲どうぞ・・・といわれても


ニャンクライミング


それではまた