こんにちは
今日の2編目です。
人が人の心を扱う時、それは最大限の思いやりやマナーを用いるべきなのでしょうね。
悪意は無くても、それが相手の心にどう突き刺さってしまうのかもしれない・・・くらいは考えないと。
生きていると、時々「ドキッ」とする事があります。
聞いた事で我が耳を疑うとか、見たり読んだりした事で我が目を疑うとか。
もっともそういう「やり取り」が苦手な「ある状態」というものも有るので、これ以上はそれは詳しくは書きません。
私はここでもよく「結果は正直」だと書きます。
その人が生きている中で培われるあらゆる要素の結果が、その人の人生にすべてそのまま来るのです。
だから「結果は不正直」なのではなく、「結果はいつも限りなく正直」なのです。
自分が言ったりやったりしている事が、その人の「人生」を創って行くのです。
人を貶めたり蔑んだりしていると、それは最終的に自分に向かって来るのでしょう。
いやそういう感覚は、人間の恥部というか意味不明な所なので、多分自分でも自覚や反省も無いのでしょうが。
今日、何気なく思ったのですが、信ずるの「信」という字は、「にんべんに言う」・・・つまり、人の言う事を受け入れる、という意味なのですよね・・・「信」とは。
人は人を疑います。
疑ったり疑われること自体は、ある意味で「お互いさま」だから仕方がありません。
しかし人は、疑われると悲しく思うものなのです。
だから「あまり人を疑わない」方が良いのでしょうね。
約束までしたことなのに、「疑っているとしか思われない」のはやはり悲しいことです。
昨日~今日にかけて、色々な事がいくつか有りました。
人間は結局「意味不明」なものなのですよね。
ここでなぜそれを言ったり書いたりする意味が有るのか???ほんと意味不明なのです・・・不思議。
結局、それが「生きている」ということなのでしょうけれどね。