こんにちは
寂寥感(せきりょうかん)という言葉があります。
ま、さみしさなのですが。
今はそうい感覚はまったくといって無いのですが、ある時期にはそれが度々ありました。
それが何なのかを調べてみると、やはり心が傷んでいるような時に、そういう事があるようです。
私がよく憶えているのは、8年くらい前に東京の府中に2つ目の会社を起業して移り住んだ頃に「夕方になるとむしょうに寂しくなったこと」でした。
夕焼けを観ていると、心が弱々しく寂しくなって行ってしまうのです。
心の問題も有るのでしょうが、むしろこのまま弱って行って死んでしまうのだろうか・・・と思っていた時もありました。
今は色々な意味でそういう事はまったく無いのですが、その時は多分、心が不健康になる要素がたくさん有ったのでしょう・・・事業などの不安とか不調とか。
そういう時を乗り越えて今思うことは、人間はやはり「思いっ切り生きる」べきなのでしょうね。
今でこそ、このブログにもエラそうな事を色々と書いておりますが、人間の心は割りに弱いのかもしれません・・・ある時期までは。
もうというか、たった8年前の事なのに大昔の事のように思えるのは、それがそれだけ過去に遠ざかった事だから、なのかもしれません。
人間は、心が健康であるかどうかの指針・目安として「異性にどれだけ関心があるのかどうか」が大きなポイントになるのだと思います。
心が不健康になると、まず異性に関心が無くなるのです。
当時は間違いなくそうでした。
一方で、生きる上で重要な事に「生きる目標を高く掲げる」事が有るのだと思います。
それは「○クジの1等が当るように」のような確率の極めて低い夢物語なものなのではなくて、何年後かに必ず実現させ得る現実的な目標であるべきなのでしょうね。
私はその目標が5~6年前に完成致しました。
それは今取り組んいる大きなビジネスもその中の一つなのですが、そういう明確な目標ができてからは、生きる手ごたえのようなものがガラリと変わりました。
人はこういう所で自分のネガティブな面は隠したがるのかもしれませんが、私はそれは無くて何でも書くことにしているのです・・・自分が良かった頃のこともそうでなかった時のことも。
それはなぜなのかというと「今はまったく健康になれた」から。
人間は、やはり心身が健康でないと、何とも闘えないのです・・・勿論自分自身とも。
そして思いっきり自分自分を羽ばたかせ、大きく豪快に生きるべきなのでしょう。
そんな今だから、その頃の苦しかった事でさえ懐かしく思えるのです。
そう・・・人間は、苦しんだ分しか幸せになれないのです。