こんにちは


10/4に1日だけここのブログを書く事を休んだら、その日から訪問して頂く方が半減し、もり返すのに4日かかり、アベレージに戻るのに1週間もかかった事に驚きました。

ちなみに訪問者のアベレージは65~70人/日くらいのようです。(PVでのカウントではありません)


昨日、親しい方にサラリーマン時代の二つ目の会社のビジネスの時の事を話したら、驚きのような反応されたので、今日の1編目はそれを書いてみます。


私の勤めていた会社は本社が大阪に有って、私はそこの東海地方の営業所の1営業マンとして入社したのです。

所員は3~5名の小さな所帯で、3人の時は所長と事務の女性と私となので、営業実務は私1人で全県を担当していた時期が長くありました。


業種は機械・工具の製造販売で、わが国の大小の企業の多くで使用されて来た経過があります。

中でも最大の顧客は自動車産業で、私もこの仕事の8割くらいは自動車会社関連だった記憶があります。


工具は単価が1~5万円くらいの小額な物が大半だったのですが、機械はすべて特注品で数百~1千万円前後/台の売り上げになったのです。


中でも私が本気で攻略し始めたA社への展開には、面白かった記憶が有ったのです。

1台の引き合いが有ると6~7社が合い見積もりを出すのですが、注文は1社にしか行きません。


私が入社した頃の状況は、その引き合い段階からもうお客様の発注想定対象外で、合い見積もりもいつもビリだったのです。

周囲に聞いてみると「おたくの会社、嫌われているのだよね」との事でした。

私の入社前には、色々とトラブルが有ったようなのです。


それならひっくり返してみせましょう・・・と乗り出し、初めの3年で下地を作り、4年目からボチボチと取れる(受注できる)ようになって来て、私が退社する入社7年目くらいには、もう総取りできるようになりました。


勿論他の競合する5~6社も黙って観ているわけではなく、みな必死でした。

男と男・会社と会社のぶつかり合い、戦いなのですが、その殆どは私の会社は私1人で進めました。

みな必死の中で、私はビリからトップを目指して・・・一気にゴボウ抜きをねらったのです。


そこでビリから数年でトップに立てた理由は二つ有ったのです。

一つ目は、自分が「理工学理論」と電気・電子・機械の勉強を猛烈にして、お客様から質問される大半の事には即答できるようにした事。


二つ目は、客先担当者の「心理をあらゆる面から読む」事に集中したこと・・・でしょう。

勿論嫌われたらダメなのは当たり前なので、「好意を持たれること」には気を付けました。


最終期には、技術担当者が「当社が必ず受注できる見積金額」を教えてくれるようにまでなったので、それは何億~何十億円という受注が、できて当たり前になったのです。


これらの流れから、私は部下も付いて所長にも昇進して・・・になったのですが、間もなくそこの会社を辞めて起業したのです・・・何の未練も無く。


結局会社に属して上げた事は、その会社の価値になるので、そこを自分で自分が挑んだらどうなるのか・・・を探ってみたくなったのです。


その結果、今はどう思うようになったのかは、また順番に書いて行きますね。


それではまた。