こんにちは
今日はこちらは台風一過の初秋の好天です。
昨日の記事で、私は20代半ばくらいから本を読まなくなった・・・という事を書きました。
雑誌類や雑学物は別として、小説の括りでいうとそれまで読んだのは 太宰治 と トルストイ。
トルストイは父親から勧められてで、太宰治は母親がよく読んでいた愛読者だったから。
どちらも当たり前といえば当たり前の事が書かれていたのだけれど、太宰治は人間の奥深さについて、それが表面的なものではなくて、本当の本質的なものは何なのか?・・・を書いていたのだと思います。
私の中で20代では割とトルストイ(人生論)が生き方の規範のようになっていたような気がするし、それ以降は、太宰治の考え方を受け入れていた気が致します。
これらを一言でいえば、「人間の本当の幸せとは何なのか?」。
太宰治はこれ言い表す際に「家庭の幸福なんて諸悪の根源である」と書いておりました。
若い時にはその意味が分からなかったのですが、一冊読んでみて今になってみると、その意味が分かるのです。
これは私の解釈なのですが、家庭の団らんや一見幸せそうにみえる家庭や家族の「儀式」は、実はそれは「本当の幸せとは言わないのだよ」という事なのだと思います。
まだ少し難しいですか?
人間の「本当の幸せ」とは、そういう原理や形而や教条なのではなくて、もっとずっと「心の感ずること」であるべきなのだよ・・・ということなのでしょうね。
今日書いていることは私には分かるのですが、読まれる方には難解なのだと思います。
確かに私は、夜は晩酌も団らんも無くて、たいがい仕事場で過ごすのですが、そうではない時期も有ったのです。
しかしどちらが自分には至福であったり充実であるのかというと、今の私は「晩酌や団らん」ではない方なのです。
家庭の幸せの象徴が「晩酌や団らん」であるのだとすれば、今の私はそういう事が「本当の幸せ」だとは思えないから、仕事場で「充実した好きなこと」をして過ごすのだと思います。
つまり人間は、その時自分が最も充実して生きられる所で生きれば、それを「幸せ」だと思えるし、それは「家庭」「家族」というものにかかわらなくとも、十分に「幸せ」なのだよ・・・と。
でもしかし、将来もずっとそうなのかといえばそうでもないのだろうし、それは先に行って「晩酌や団らん」が良い・・・と思えるのであれば、それもそれで良いし。
大切なことは、ただ「家族」「家庭」「儀式」「団らん」」が人生のすべてではない、それを「本物」だと思わない方が良い・・・という事なのでしょうね。
またいつか続きを書きます。