こんにちは


以前にもこのブログに書いた事が有るのだけれど、私は事業の中でがんばってもらえそうな人を時々スカウトする事があります。


それは単に私の事業が繁栄すれば良い、自分だけ良ければ良い・・・という独善的なものではなくて、その方の人生の繁栄を主として考えた結果、という場合がほとんどなのです。


社会というものはどこでも「良くできて当たり前」なので、当たり前の事ができなかった時にはそこから身を引かざるを得ないか、そこから外へ追い出されます。


もう一つ大切な事に「人間の適性」というものが有ります。

長い間「人」や「社会」というものを観て来て分かったことは、無数に有ります。


人間の適性・・・たとえば私は静的な仕事は早くに限界が来てしまいます。

だから公務員(事務職)や金融機関のような所で働くことは「すごく苦痛」であるのが自分でよく分かります。


でも厳しい仕事や難しい仕事や激しい仕事に向かうことは、そんなに苦痛ではありませんでした。

そこは「自分はやっている」「自分にしかできない」くらいの思い上がりも含めて、そういう事は無理ではないのです。


「人生を懸ける」「全力で生きる」という観念が有る人と無い人がいるのだと思います。

というか大体の人には「無い」。


例えば収入は多いにこした事はないのだけれど、結婚はすごくレベルの高い人がよいのだけれど、でもまぁすべてが人並み・中庸・普通ならば、それでよしとするか・・・なのでしょうね。


今、仕事先が確保されているのであれば、そこがよほど何かがない限り、そこで良いのでしょう・・・とか。


つまり人生に「進歩」や「前進」というものが起こらないのです。

ずっとそのままでは、勿論起こるわけもありません。


でも生きていれば、生涯で何度かの「すごく大きなアクシデント」は誰にも必ず起こるのだと思います。

そういう時にハタと困るのでしょうが、仕方がない・・・自分の人生の選択なのだから。


「大それたような事はすべきではない」・・・日本人が長年刷り込まれて来たデフォの感覚なのだと思います。

でも・・・人生の多くは「経済的な理由」で幸・不幸が分かれて行くのだと思います。


人間は、常に「進歩」や「前進」に努め、それなりの報酬を得て行かないと、生きている意味が無いのだと思います。

なぜなら、人生の満足度の大半は「生きる姿勢」と「その(経済的)結果」で決まるのだから。


私はここまでたいがいの生き方を体験して来て、「人生は何で決まるのか」がよく分かりました。