こんにちは
会社で毎日自分がこなすべき仕事の内、外回りは午前中に・・・という流れに決めているのです。
これは時間的に余裕をもつ事ができるので、外回りが早めに終わった日は今の時間にこちらの記事を更新する事が多くなっております。
マスターとスレーブとは、主人と奴隷を意味します。
私がこれを知ったのは、IC基板を組立てる際に、マスタースレーブ型フリップフロップ(シーソーの事)という機能の有るICが有る事から、そのICについて学んだ時の事です。
日本には歴史上奴隷制度は無かったのですが、実質的にそれに近い状況は、昔でも今でも存在致します。
奴隷というと悲惨なあの光景をイメージ致しますが、現代における社会の構造でも、つまり世の中は実質的に「奴隷制度」なのだと思います。
主人が資本家、奴隷はサラリーマンです。
社会学論は難解なので触れませんが、少なくとも資本主義下では、一般勤労者はマスターに従属する奴隷なのだと思います。
今では資本家・経営者向けの様々な指南書やコンサルタントが存在致しますが、その内容の大半は「上手な奴隷の使い方」の内容なのです。
私がサラリーマンから離脱しようと思ったかなりの部分に、これらに気付いたという経過が有りました。
ただ昔日の奴隷と今の状況で異なる点は、今は「自らの意思でそれを止める事ができる」事なのでしょう。
本当の奴隷は意思というものを持つ事自体が許されなかったのだと思いますから。
でもしかし・・・人間は人生は[主人か奴隷か]の2択なのでしょうか?
単的に結論付ければ、それはやはり「YES」なのでしょう。
奴隷が嫌なら主人になるしかない・・・のでしょうね。
それはどちらもすごく大変です。
それだけ生きるという事は、やはりすさまじい「消耗」や「すり減り」の連続なのです。
でもこの世に生まれて来てしまったものは仕方がない。
もう究極の選択で生きて行くしかない。
そのためには、どんな内容でもよいから「主人」として生きた方が手応えのようなものがあるのでしょうね。
普通の人が「まだ」幸せだと思って良いのは、それを「選択することができる」という事なのでしょうから。