「#15」で記したように、周囲から浮いている自覚を覚え始めた僕は、レクリエーション等を上手く活用して、みんなとの親睦を深めることに努めた。それでも不十分だったかもしれないが、僕なりには、頑張った方だと思う。
ただ、この辺りから行き詰まりを覚えるようになった。どれだけ課外活動的な場所でみんなと仲良くなろうとしても、いざ、普段の講義の時間であったり、プレゼンテーションやレポート等、講義内における活動が始まると、再び、元の自分に戻ってしまうのだ。
僕は、何から何まで、自己を変革することが出来なかった。例えば、講義中に課された課題があった時、それに着手するために自習室を利用する院生が多い中でも、僕は、自宅に帰ってしまって、その部屋で、一人、作業に勤しむ。そのスタイルを崩そうとはしなかった。
そのことで、色んな歪(ひず)みが生まれたように思う。僕は、自習室をほとんど利用しなかったからこそ、日頃、自習室を利用している人に対して、ひどく劣等感を覚えるようになっていった。多分、利用している人からすると、何でもないことなんだろう。けれども、僕にとっては、そのことが、輝いて見えたのだ。
こればかりは僕の問題である。僕は、足並み揃えて、みんなと手を取り合って、何かしらの作業を進めるのが、億劫なのだ。なんでもかんでも一人で完結させたがるきらいがある。その気質が、僕の足を大いに引っ張った。また、それに輪をかけるように、”今更スタイルを変えることは困難だ”という観念も、根強く残っていた。
自習室は全く利用しなかったわけではない。例えば、グループワークの講義で、班ごとに集まる必要があった場合は、大抵、自習室に集まることが多かった。そういう時だけ顔を出すようにしていた。言い換えれば、特に用事が無い時は、顔を出すことはまず無かった。それが良くなかったと今では思っているが、当時の僕には、あの空間は、なんだか”アウェー感”が漂っている気がしてならず、どうしても、足を遠ざけさせた。多分、単に、考え過ぎなだけなのだが・・・。
たまにしか利用する機会が無いからこそ”アウェー感”を強く感じていたのもあるだろう。また、僕以外の人は、日常的に利用している人が多いからこそ、僕と比べて、居心地の良さを感じているようにも思えて、「あっ、やっぱ、相容れないナニカがあるんだな…。」という思いを増大させていた気もする。それでいて、何も言い出せずにいた。
”何も言い出せない”
こうやって振り返ってみると、その一言に尽きるのではないかしら。僕は、弱い自分をさらけ出せる相手を、誰一人、見つけることが出来なかった。気が合いそうな人や、比較的仲が良い人は、同じ時間を過ごしていると、自然発生的に出来ていくものだ。ただ、深いところで繋がっている感覚を覚えた者は、誰一人、居なかった。それが、良くなかった。
言ってしまえば、僕は、何をするにしても、不安が先行していた。卑屈でもなんでもなく、僕は、同じコースに属する者の中で、最下層に位置していると思っていた。それでいながらも、見てくれだけは”泰然自若”を装おうとしていた。実際、周りからどう見えていたのかは、知る由もないが。
それが全ての間違いだった。もっと、ありのままで、ぶつかれば良かったのだ。おそらく、受け止めてくれる者は居たはずだ。けれども、僕には出来なかった。殻を破ることが出来なかった。今までの立ち居振る舞いで形成されたであろう”自分像”を壊す勇気が、僕には無かったのだ。
今ならハッキリと分かる。教職大学院で過ごした自分は”実像”ではなく”虚像”である。入学当初、「学生気分から脱却してちゃんとやらないと…。」という決意が裏目に出た結果、生み出された姿に過ぎなかった。つまり、等身大の自分ではなく、ちょっと大きく見せてやろう、と意気込んでしまったのだ。それが良くなかった。気付いた頃には収拾がつかなくなっていた。”何事もはじめが肝心”とは良く言ったものだ。
かくして、僕は、レクリエーション等の「オフ」の時間は”虚像”ではなく”実像”に近い自分として、ある程度、振る舞うことは出来るようになったものの、依然として、講義等の「オン」の時間は”実像”ではなく”虚像”の自分のまま、振る舞っていた。根本的な問題は、何も解決することが出来なかったのである。
手応えを掴めぬまま、アレコレもがいていると、「教職実践演習」の時期になった。学生時代の名称で言うところの「教職実習」。そう、一定期間、「教職実習生」として、学校にお世話になって、実習授業等、一人前の教師になるためのステップを踏む期間が、やってきたのである。
日頃の院生生活でアップアップになっていた僕にとって、更なる試練が襲い掛かった心持ちになったのは、言うまでもない。