運命が変わった場所

 

教職大学院に入学した頃から、教職実践演習のことは、気に掛かっていた。「教育実習とは別物だから」という一言が、僕の心に、重たくのしかかっていた。「お客様扱い」ではなく「準スタッフ」ぐらいに見られるから、肝に銘じておけ、と。心構えは、多分、人一倍、していた。ただ、肝心の、実力が、付いてきていなかった。そればかりは、一朝一夕では、どうしようもない。

 

正直、大学時代の教育実習も、憂鬱だった。初日、諸々のことが気がかりで、結局、一睡も出来ぬまま、ふらふらとした足取りで、学校に向かったのを思い出す。なぜだか僕も良く分からないが、眠れない早朝~朝にかけて、GLAYを、ひたすら聴いていた。聞き流していた、と言うべきかもしれないが。

 

GLAYの、僕的にはドストライクのゾーンの楽曲を、色々と聞いていた。それも、バラード調を、好んで聞いていた。ちょっと、アップテンポな感じの曲は、その時の自分には、重たかった。王道の『HOWEVER』や『BELOVED』はもちろん、季節外れ(教育実習は春~夏ぐらいの季節に行なわれた)の冬ソング『Winter,again』や『Way of Difference』であったり、胸が熱くなるラブソング『ずっと2人で…』や『BE WITH YOU』、そして、個人的にイチオシの楽曲『夏音』、ここら辺をローテーションで回して、眠れぬ夜を過ごした。『夏音』を一番リピートしたと思う。なぜだかは、今考えてみても、やっぱり分からない。

 

教育実習の場合は、冒頭で記したように、確かに「お客様扱い」とまでは言わずとも、なんかこう、あたたかい目で見守ってくれる感じが伝わって来た。基本的に、母校にお世話になる習わしになっているのもあると思う(僕の場合は母校の高校でお世話になった)。それもあって、二日目以降は、過度なプレッシャーを感じることなく、過ごすことが出来たとは思う。それでも結構大変だった気はするが。おそらく、僕の圧倒的なスキル不足に起因するものだろう。悲しい話だが、それが現実なのだから仕方あるまい。

 

教職実践演習の場合は、教職実習とは異なるシステムだった。教職大学院というのもあってか、各学校と「連携校」だか「提携校」などと呼ばれる結び付きで繋がっており、そこでお世話になる決まりだった。はじめは、それほど問題視していなかったのだが、やはり、過去に慣れ親しんだ母校と比べると、はじめて行く学校に手間取った感は否めない。まぁそれも、お茶の子さいさいで切り抜けないと、いっぱしの教師として、到底、やっていけないのだろうが・・・。つくづく、力不足を痛感している。

 

教職実践演習の初日は、確か、眠れたと思う。というのも、教職実習の失敗体験から学んだ僕は、睡眠薬を用意していたのだ。これが意外と高い。面食らった僕は、薬局の「見切り品」というコーナーに、睡眠薬が追加されるのを待った。結構待った。薬局に行くたびにチェックしていた。すると良いタイミングでゲット出来た。商品の見直しの際に、再入荷しない睡眠薬として、見切り品に移動したようだった。そのおかげで割安で買えた。それも、かなり安かったと思う。僕の記憶が正しければ、半額以下だったような・・・。凄く喜んだ記憶はある。なぜだか、こんなことばかりは、異常に記憶が良い。覚えておくべきことはポンポン忘れて、覚えておかなくて良いことばかり覚えているのは、昔からの癖だ。何の自慢にもならない。

 

実習中は、それはもう、色々あったのだが・・・、いざ、こうやって書き出そうとすると、思った以上に、出て来ないものだ。もちろん、断片的な記憶は、沢山、残っているのだけど、書き出すほどのことじゃないかな、というのが、無数にある感じ。多分、それだけ、一瞬一瞬を、僕なりに、一生懸命に、過ごしていたのだと思う。(我ながら美化し過ぎか?)

 

教育実習と教職実践演習の違いとして、まずはじめに気付いたのは、生徒達の反応である。これは考えてみると当然のことだ。僕の母校の高校は、教育実習生が来ることは、ほとんど無い。つまり、それだけ、真新しさを感じるということでもある。一方、連携校・提携校の学校の場合は、毎年毎年、多数の教育実習生がやって来る。真新しさの欠片も無い。そりゃあ新鮮なリアクションを取る方が難しい。僕だって塩対応になる。絶対になる。

 

けれども、この事実が、僕の実習の日々を、更に難しくさせた感があった。生徒の反応が変われば諸々のことも同時に変わっていくものだ。生徒指導的なことはもちろん、授業の進め方も。教育実習で培ってきたことが活かされない感覚が、凄くあった。まぁこれも、お茶の子さいさいで乗り切れなければ、教師失格なのだろうが・・・。だとしたら、今更ながら、教師って、大変な職業だなぁと思う次第である。

 

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