りゅうちゃんへ


ねやんは、りゅうちゃんがうちに来るずっと前から、うちに犬が来たときのことを時々考えていました。小学校の時、鍵を忘れたりして家に入れなかった時に、庭の和室についている小さい縁側に犬がいて、一緒に座っている場面を、なぜだかよく想像していたんだよね。



だから、りゅうちゃんがうちに来てから、それを思い出して、それこそ何回も縁側に乗せてみようとしたけれど、小さすぎたりゅうちゃんは足を木の間に取られて、それがトラウマになったらしくて、絶対にあそこの上では、落ち着いてお座りしてくれなかった…

だから、去年の夏の初め、りゅうちゃんがあの下を執拗に掘り始めた時に、私にはすぐ分かりました。りゅうちゃんはもう居なくなってしまうのかもしれないと。どんなにとめても必死で掘り続けたのは、絶対に何かを伝えたかったのだと思うのです。

ほっぺがずっと欲しかった「あたい」は縁側から、消えちゃうよ~って。


こうしてりゅうちゃんが死んで1年経っても全く悲しさは消えません。むしろ死んでしまった直後よりもじわじわと悲しさと後悔が押し寄せます。

あれやこれや理由をつけて、りゅうちゃんが幸せだったと思いたい気持ちが強く、色々思い出そうとしても、結局あの病床のりゅうちゃんを思い出しちゃうね。


夜寝るときに、りゅうちゃんが最後に力尽きてしまった私の右足元のあたりをぼんやりと触ってみたりしながらこんな考えにふけります。


死ぬときに苦しくなかっただろうか、手術跡は痛かったに違いない、りゅうちゃんは根性だけはあったから家で死んでしまったんだ、パパが階段から降りてくるのを待って死んだのかな、あの夏は暑苦しかっただろうに、最後の日にマッサージをしてあげられたから良かった、あれ幸せそうだったなぁ、それにしてもあの日になんで親知らずの鎮静剤なんか飲んだんだろう、あれがなければ一晩中寝ずの晩ができたのに、しかしなんで手術なんかしたんだろう、しかも3回も、絶対に2回目の手術は不必要だった、手術をしようって言ったのは私だよね?うちとしてももっと血液検査とかちゃんとしてセカンドオピニオンを聞くべきだった、あぁ、行ったは行ったっけ?別の病院、つめが甘かったって…?ねやんが悪かったよね。かわいそうなりゅうちゃん、ごめんね。

なんてかわいそうなあの娘。まだまだ、楽しかったりゅうちゃんとの思い出をたまにしか、思い出してあげられない。



いま、りゅうちゃんがどこかで寂しい思いをしているのではないか…1人でじっと前足にあごを乗せて上目遣いに、「しらっと」よその犬が遊んでいるのを見ているのでは、とか…

私が地上で優しくした犬たちがりゅうちゃんに「生前はほっぺにやさしくしてもらったよ」とか言って、りゅうちゃんは「うん、そうでしょ。ねやん犬好きなんだよ~あたいは犬とは違ったけど。ま、ほっぺは嫉妬深いから気をつけないと。あたいも大変だったんだからぁ。ばきゅうむもするし。でもあたいのこと1番かわいがってくれてたんよ。ところでほっぺはなんでいないのかしら、まぁ、ここで待ってればいいか。」

と歓談タイムを楽しむ幸せなりゅうちゃん。幸せな想像です。そんな時は、ふっとやさしい気持ちになります。



でもその一方で、りゅうちゃんはもうどこにもいない上に、ただかき消すようにいなくなってしまって、私たちが残されただけだっていうことも、どこかで分かっています。私たちに残されたのはりゅうちゃんの骨と、思い出だけです。時々感じるりゅうちゃんの気配は、りゅうちゃんとの思い出の錯覚かもしれないなんて思ったりもしちゃいます。


そして、いまのところ、りゅうちゃんが死んでしまってひしひし思うことは、ねやんは急に14才、歳を取ったのだということです。骨になったりゅうちゃんは玉手箱の煙みたいなもんで、見なくて良かったものが色々見えるようになってしまった。


今までは、りゅうちゃんがあまりにも若くてかわいいから、誰に何を言われようとも、私は自分が歳を取っていることを、りゅうちゃんが歳を取っていることを忘れていたように、すっかり忘れてしまっていました。りゅうちゃんとの時間がずっと続くと思っていて、でもやっぱり終わってしまった。急に自分のものさしがぽっきり折れた気がします。


そしてパパもママもまあこも、同じように歳を取っていたんだなと思います。それがりゅうちゃんがいなくなって分かったことかな?りゅうちゃんを通して交差していたそれぞれの人生と時間が、パラレルになったのだと思います。



最近はそれでも、りゅうちゃんがねやんの足元で死んでいったのは、「ねやんとりゅうちゃんはずっと一緒よ~」というねやん歌を、あの時は「何ほっぺ歌ってんの?」っていう顔をしてたけど、実はりゅうちゃんの心で、ちゃんと理解していたのかなと思います。


比べることはできないけれど、りゅうちゃんが私の足元でない、どこか別のところで死んでいたら、りゅうちゃんの死に目に会えなかったと、別の壮大な後悔が襲うということを、りゅうちゃんがわかってくれていたのかもしれないって思うのです。やさしいあの娘。それが1年経って、やっと考えられるようになった1つの救いかもしれないね。



それにしても、いつになったら、こんなに悲しい気持ちが消えるのか教えて。ねやんにこんな悲しい思いをさせてひどい娘。りゅうちゃんごめんね。どこにいるのかな?ごめんね、ごめん。許してね。うらんでいいよ。悪霊でいいから出ておいで。

2009919日 ねやんより