ペンギンプルペイルパイルズは『道子の調査』『ゆらめき』を3年ほど前に観劇し、その後は、倉持裕氏のインタビュー記事などを目にしてずっと気になっていました。今回は森山未来君と、ともさかりえちゃんも気になり観劇しました。


『ネジと紙幣』 @銀河劇場 休憩なし130分

作・演出 倉持裕 出演:森山未來 / ともさかりえ / 長谷川朝晴 江口のりこ 細見大輔 野間口徹 満島ひかり 小林高鹿 / 近藤智行 吉川純広 / 田口浩正 / 根岸季衣


『女地獄油殺』を下敷きにして、現代版にしたとのこと。もう不吉で不吉で。見事でした。まず全体的な舞台設定の汚れている感じがすごい。

(以下、ちょっと内容に触れます。)



そもそも花火会場の土手で物語が動き出しますが、しょっぱなからラストに通じる「嫌ぁ~~」な雰囲気を感じました。個人的に、花火大会がすっごく苦手で、音とか、煙のにおいとか、水に湿った草とか、虫に刺される感じ、トイレ待ちの行列とか、たくさんの人が集まりすぎるとか、何か悪いことが起こりそうな予感がぞわぞわして、普段の花火大会も久しく行っていないわけで・・・

だから、いきなり生理的に動揺しました。


次の場面転換で、(下町あたり)の金属部品加工の町工場が出てきた時も、生理的に嫌な感じがしました。携帯電話があるくらいだから、それほど昔の話ではないはずなのに、壁にはしみ。窓ガラスは曇り、部屋の隅には何やら工業油っぽい汚れを纏った雑貨が転がっていて、さらに音楽を奏でる壁掛け時計の白い文字盤が薄汚く、就業後にそこから奏でられる『イッツアスモールワールド』は不吉に調子っぱずれ。


これは、中学校時代よく指導を受けていたことで、「公共施設をきれいにしなさい、さもないと汚いところは皆がどうでもいい所と思って、ますます汚します」と。

みたいな感じで、ぬぐってもぬぐっても落ちない積年の汚れがしみついた環境の中、繰り広げられる話でした。


ネジも紙幣もそれ自体は、温度のない無機質な物体ですが、この物語では工場と人間たちをべたべたとした油っぽい世界に連れ込んで、そのしみを落とさない立派なアイテムでした。


森山未来君は行人(ゆきと)。いわゆるピカレスクで、どうしようもない渇きを抱えている現代風な若者だった印象でした。道を外してしまう役ではあったけれど、なんとなく助けを求めているように見たかな?

元々愛嬌のある人物が、どんどん退路を断たれて悪事に染まっていく様子でした。理由があるから悪人になるっていうのは現代風なのかな、と感じました。

前半の山場、勘当場面の「出て行きゃいいんだろ、ばっかやろう!」には、思わず胸が痛くなって、泣きそうになりました。


そもそも、家族関係が複雑で、母(根岸季江)が工場長だった夫(つまり行人の父)を失った後、父に「なぐられっぱなしだった」情けない弟子であるところの、田口浩正と再婚し、腹違いの妹が生まれ。行人の兄はそれを気遣って別の工場で修行して、働いているという設定。


なんだか田口浩正の夫役と、根岸季江と妻役の「仄暗い」関係がグロテスクで気持ちが悪い。

行人が慕っていて最後には殺してしまう、幼馴染でお向かいの工場の奥さん、桃子(ともさかりえ)と、彼女の夫(小林高鹿)の関係も不吉さが漂います。小林高鹿が薄気味悪い。行人にずっと嫉妬していたわけで。


ラストの殺人場面では、洗濯物を乾かすためにつけているダルマストーブによる部屋の温度上昇で、ムシムシとした嫌な空気を醸し出しました。あんな暑いところで、大量流血したら腐敗も早くなるし・・・


行人の「自分のこんな状況の、始まりと終わりを探している」という台詞に、桃子は「ちょっと先の未来だけ探せばいいじゃない?」と諭します。ところが、ナイフを持ってお金をせびってきた行人に「あんたにはちょっと先の未来もない!」と言い切ってしまう。

結局、最後に手を離したために殺されたのではないかと。桃子と結ばれていたら、現代ならばそれも「あり」で殺人まではしなかったのでは?と考えてしまった。


幕切れ、何度も入念に手を洗う行人ですが、『青ひげ』の鍵のように、ついた汚れ油でも血でも、原罪みたいに消えないようです。ついてしまった汚れ(罪?)について考えさせられる芝居でした。

状況だけで、ここまでベタベタとした空気感を出せる倉持さんの世界は気持ち悪いけど、緻密だなぁと感じ入りました。