前回の蜷川さんの長芝居『グリークス』は2部目だけ観て、あとはビデオだったので、

初挑戦の休憩込み10時間半。3時間の芝居をトリプルヘッダーしたようなものでしょうか。

構えて行きましたが、終わってみればそれほど長さは感じませんでした。

ただ体は正直で、腰が・・・


以下、詳細 作:トム・ストッパード 演出:蜷川幸雄

出演:阿部寛、勝村政信、石丸幹二、池内博之、別所哲也、長谷川博己
紺野まひる、京野ことみ、美波、高橋真唯、佐藤江梨子、水野美紀、栗山千明、とよた真帆
大森博史、松尾敏伸、大石継太、横田栄司、銀粉蝶、毬谷友子、瑳川哲朗、麻実れい 他


座席は舞台を挟み込む形で、全方向から観やすく、紗の白いカーテンを

舞台転換や映像で便利に使っていました。シンプルでしたが、長時間見るには良かったです。

客層は思ったより、ご年配の方が多かったかな。男性率も高かったような・・・研究者系でしょうか。


女性の中にはお着物をお召しの猛者もいて、びっくり。

年配の方々の探究心にちょっと背筋伸びました。

チケット代のせいもあるかもしれないけれど、躊躇していた自分を恥じ入りました。


1部『船出』3時間+30分休憩+2部『難破』3時間+45分休憩+3部『漂着』3時間 という構成で、

ロシアの農奴解放前夜に活躍した実在の思想家や革命家の人生を、3部に分けて追っていました。


始めこそ、ロシア人の名前や政治用語の頻出、特に1部の時系列に戸惑いましたが、

それに慣れてきたら、2部後半からたちまち物語がおもしろくなってきました。


芝居の主筋ともなるアレクサンドル・ゲルツィンの物語が、2幕目から色濃い人生になってきて、目が離せなかった。

阿部寛氏『道元の冒険』以来の観劇。外国人ぽい顔立ちと、その立ち姿の華で、すばらしかった。特に後半、強気だが哀愁を漂わせる台詞回しはちょっとしんみりしてしまいました。


石丸幹二氏はゲルツィンの幼馴染で親友という役で、3幕主に出てきましたが、詩人だけれども思想家で、ゲルツィンに妻を寝取られながらも、彼とは親友で、でもその苦しさのため酒におぼれ、アル中になり場末の女(毬谷友子)を愛人にするような、ちょっと一般の神経でははかりしれない人物でした。

でもやっぱり石丸さんらしい品の良さが、にじみだしていて、はまり役だったかと。


勝村政信氏は相変わらず達者で元気。愛嬌のある革命家の役で、3幕目までアクセル踏みっぱなしで気持ちよかったです。

あとは気になったのは、1幕目と3幕目、全く違う役で出た長谷川博己氏。2役出てきて、2つ目誰か分からなかったのは彼だけでした。3幕目の、新人類の若手革命家役、現代の若手社員とかにもいそうで、そのリアルさに圧倒されました。


美波ちゃんも、美しく透明。台詞が明瞭で目立っていたかな。

ゲルツィン(阿部寛)の妻役水野美紀。嫌な(変な?)女だなぁ~と思いましたが、迫力ありました。

ここのところ、よく見かける(いや、本当に良く見かける)横田栄司氏。うまい・・・彼のマルクスで、後ろにいた研究者らしき男性が、げらげら笑っていました。


国家という大きな理不尽と、個人にまつわる小さな理不尽を積み重ねて、同じ重さで苦悩するゲルツィンは、バランスの取れた魅力的な人間だったんだなぁと。

「現在の幸せなくして、未来の幸せを語るなんてありえない」とか、大きな理不尽に立ち向かう力をくれるのは、「真夏の稲妻のような個人の幸福だ」とか。好きな台詞たくさんありました。


あとは、思想家として定着した評価を得たゲルツィンと、台頭する若手(どちらもロシアの農奴解放賛成の同志ではある)問答する場面では、

なんだか会社でよく見かける、団塊の世代 VS 若手世代 という構図を見たような気がしました。

どう解決するのかとはらはらしていたら、「溝はあるけれど、飛び越えられない溝ではない」という台詞があり、

組織とか、団体とか、っていうのはそのくらいの対立構造ならば、「あり」なのかもしれないと思いました。


前に進んでいくには、色んな溝をとびこえて、大小理不尽さも飲みこんで、許したり、忘れたり、親しみを持ったりしながら、もやもやした塊みたいになって進んでいくものなのかもしれない。

どこの塊に入るかは、それこそ「偶然」で、それは個人の「歴史」かも・・・と考えました。

哲学、経済、歯が立たずでも、まぁ分かりましたが、知っていればもっと楽しかったかも。


劇場で、昼ご飯、夜ご飯食べて、同じ席に座ってすごしましたが、いい過ごし方でした。

よく考えたら、10時間半本望です!