現在主流となっているスピリチュアルでよく耳にするこうした教義教説があります。
ジャッジメントしない。
批判は波動を下げる。
全ては中立。
こうした概念の半面の真理は認めますが、これらを学んだ人々の多くが自ら掴んでしまっていた狭い観念から脱却出来、自他内外における諸々の事象をより大きくおおらかに受け入れる様になれているかと言えば、残念ながら否だと思います。
こうした概念から直接的に万物に向き合うには、この世界はあまりに理不尽・不条理に満ち溢れています。
よって実際は「これを悪く思うのは狭い観念でないのか、ジャッジメントしているのでは?」
と心を萎縮させているだけなのが大半ではないでしょうか?
外の世界から、また内なるものから己を蝕む何かに真っ向から対峙対決するのは「偏った正義」などでは決してありません。
「戦い、争う心がそうした出来事を引き寄せる」などと言われてますが、それは強い恐怖から敵愾心を抱いている場合です。
単に善悪に無自覚なだけの、ひ弱な状態もまた悪辣な攻撃者を引き寄せるはずです。
こうした「ジャッジメントしない」的思想は、元は欧米のニューエイジムーブメントからもたらされたものでしょう。(しかしニューエイジも過去のものになってしまいました。。。)
こうした思想が現れたのは何かと訴訟が起き、個人個人の対立が大きい欧米ならではの背景があるのは頷けます。
これが日本に輸入され、より曲解されて広まるのもむべなるかなです。どうかこうした概念から、自己の尊厳を強く抱く事に萎縮してしまわない様、願うばかりです。
こうした教説を一面的、偏向的に掲げて強調する人は、
憲法9条を掲げさえすれば平和を守れるといった類いと同じ錯誤者。
二元的対立を超えたつもりでいる中途半端な相対論者。
あるいは最初から人々を惑わせ萎縮させるよこしまな意図を持っている者。
これらの内どれかか、その複数かに違いありません。
余談ですが異星人からのメッセージと称される類いもまた、ジャッジメントしない思想が盛んに説かれています。
彼らの説によれば今の地球の有り様は、ネガティブ異星人どもが太古から地球を蹂躙してきた事が大きいとの事です。
こうした説は自分もある程度認めますが、彼ら善良異星人の連合は悪徳異星人の所行を「彼らの自由意志である」と積極的に征伐しないらしいのです。
こうしたメッセージのソースは↑に述べた
3番目の意図によるものと私は見ています。
異星人のメッセージ群の全てを否定はしませんが、この問題についてもいずれまた取り上げます。