エンペラー聖人の嫉妬 -3ページ目

エンペラー聖人の嫉妬

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A.M.5:20
日の出とともに立ち篭める霧に囲まれる中
我々は秩父地方に入り大きなループ橋の中で車を止めた






そこにはマニアの中ではメジャーであろう
あるダムが目の前に広がっていた



滝沢ダムである




目の前のダムの大きさに圧倒されながらも
今回の旅に期待と興奮をより深め、車を走らせた








A.M7:00

ついに今回の目的地「小倉沢」に到着した



近くに車を止め少し歩くとまずはじめに現れたのは



この老練された建物は驚くことに現在も使われているそうだ。
それでも一層の景観美を放っていることに違いはない

それと同時にこの郵便局を堺にはじまる連連たる
廃墟郡の存在を表していた



ここからの位置情報としては
車1台しか通れない細い道を真ん中とし、
右手には株式会社ニッチツが管理する現在は
炭鉱として使っている工場。
向かいには山が続いており道路と並行するように下には川が流れている。

この川が後々少し厄介になってくることを今のうちから
言っておこう



まずはじめに左側の山の斜面に一つの廃屋を発見し
その探索から着手することになった。

中は中央が土足で歩けるようになっていて
両側に間が広がっていた。


変な奴が写りこんでいる。まあ、いいだろう。





当時の広告によると50年以上前に使われていた所のようだ。


例によってテレビはそこあった






はじめから完全にサバイバルである


さあ、次に進もう。

2013年10月5日 午前3時
いつものように北浦和駅に我々は集合した

この男が今回の運転を務めてくれる寝坊くんだ(笑)

必ず倍返しをするつもりである

同じく同行するのは相変わらずのロックTシャツ男
今日はメタリカです。





当然このメンバーは秩父にトラウマを持っている
正直恐ろしくて仕方がないのだ。

*なんこっちゃ分からない方は以前の
秩父についてのブログを参照

あの時のトラウマを払拭するためにも
行かなくてはならない




肝心の場所だが、秩父といっても秩父市内ではない。
さらに山奥の大滝地区、小倉沢である。




車で3.4時間の距離に位置しているその場所は
無論、コンビニやスーパー、いや店というものが存在していない。



じゃあどうやってそこの人達は生活しているの?
そう思う人も多いだろう、


その点は全く問題ない。




そこに人はいないのだ。






わずかに稼働している工場と小さな郵便局だけがあるが
そこに住んでいる人はいない。







その場所は「日窒鉱山」


歴史を遡ると鎌倉時代になるほど長い歴史を持っている
元々、金や砂金の採掘が行われていたが
明治に入り戦争状態や会社の買収に伴い
廃れて行く原因になったといえる
今回の調査ではここの人々は1990年頃にはすでに居なくなっていた痕跡が残されていた。

しかし、今なお、小中学校跡、社宅跡、病院跡、寮跡など
廃墟にまみれた一体になっている

予備知識はさておき、さっそく出発しよう

A.M.3:40 出発
お久しぶりでございます、エンペラー聖人です。

最後の更新から10ヶ月ほどの月日が経ち
あれから今日まで2つの大型廃墟の探索にいきました

その活動報告をさせて頂きたいと思いますが
一つ目の方の画像が現在手元にない状況なので

もう一つの廃墟、我々がこの旅をするきっかけとなり
ここに行くために、今までやってきたといえる
関東最大規模の廃墟について、書いていきたいと思います

そしてこの廃墟と2014年年始探索予定の廃墟をもって
関東圏の探索からは退き、新しい地での探索を予定しています。

ということで
「関東廃墟探索最終章第一部 日窒鉱山廃墟郡」

本日から、乞うご期待