エンペラー聖人の嫉妬 -2ページ目

エンペラー聖人の嫉妬

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前回の更新では過去の住民の生活の様式や
多少のホラー要素含む内容を紹介したが

今回は少し和風なものを。。


さあ、いってみよう!







川沿いにあるこの廃墟群だが、
すこし上流の方に向かってゆくと

とても良い雰囲気の民家があらわれた




同じような建物が連なっていて
落ち葉が秋を感じさせるような風景だ


さらに奥に進むと看板がみえた





『あるきタバコはやめましょう』


うーん。なんともいえない風情がある。



先にみえる道をさらに進むと


割としっかりとした建物がそこにはあった。







2階建てのその建物は空間が広めに
作られている








大部屋があり、宴や遊が行われていた痕跡が残っていた


壁には





お世辞にも上手とはいえないドラえもん。


日付は去年の1月19日だ。
何を隠そう私の誕生日である。

お祝いお待ちしております(笑)





今回は特に盛り上がる場面もなかったが
短めに終わらせていただきます。

全ては次回から始まるいよいよメイン、
小倉沢小中学校の探索である。


見るものすべてが新鮮で美しく壮大であり
過去最高の廃墟であったことは言うまでもない。



お楽しみにしていただきたいと思います




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前回、神々しく雰囲気を放つ物件と共に
哀愁漂う商店跡などを発見!
しかし!旅はまだまだ序盤!

今回はちょっとだけ怖いようです。。
さあ、いってみよう!









まだまだ廃墟探しはとまることなく
次に発見したのは公共浴場だった。





 
男女に別れているが、内装は対照になっておらず、女湯の方は床が腐敗しきっていたため撮影は困難だった。

今回は男湯だけの写真となる。







シンプルな浴槽が一つ。

ただそれだけがそこに点在していた。

今日の浴場施設とは違い娯楽要素のある
ものではないようだ。



我々はその浴場を出て周りをぐるっと見てみると




隣には








このアパートのような建物、社宅であろうか。

一世帯2階分の割り当てとなっており、
八世帯ほどが暮らせるような作りとなっていた。






8部屋のうち7つは上記のような感じで
特に荷物や生活痕はなく、布団があるだけ出ることが多かった。

中には当時であったら大変高価だろう
大型ブラウン管テレビがあったりする家庭もあった。


















では。

残り一部屋はどうなっているのか。


我々はもちろんさっぱりとした部屋を想像していた。



しかしそこだけは違った景色であったのだ。


 



無数のぬいぐるみ。


写真では解りづらいであろうが、この奥も扉で見えないところにもボロボロになったそれが散乱していた。

  


      
向こうから誰か覗いている気がした。









そして
この景色に驚くあまり
見落としていたものがある。


足元をみると、






よーく見てもらいたい。






ボロボロで確認しづらいが
人形である。






藁人形である。






その足元には釘が打ち付けられている。





丑の刻参り。。。





その言葉が我々の脳裏をよぎった。








萎縮してしまいそうになる我々だったが
調査のため2階に上がった。




 



日本人形だ。首がない。









振り返ると不自然に置かれた
こけしがこちらを睨んでいた。





ここだけ流れる空気が違うのは
言わずもがな全員に伝わった。





一目散にここを出たのだが
ここで味わった寒気や不気味さは









この先忘れることはなかった。



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遅ればせながら第3夜!

前回、ついに到着した我々一行は
ついに日窒鉱山郡に到着!
次々と現れる廃墟に驚愕と興奮に
踊らせるのであった。




鉱山鉱山といっているが
肝心の工場がこれである。


奥の白い建物は現在も稼働しているということだ。


肝心なのはここではない。


この工場で働いていた家族。
ここら周辺に住んでいた人々の生活の跡、
さらにはその健康、教育が行われていた
学校、宿舎、社宅、病院などがこの先に
続いている。









車を走らせて探していると、右手には
驚くべき光景が広がっていた。





二階建てで横に広い作りの建物である。
地面が真っ白で雪のようになって見えるのは、すべて石灰である。

この先から石灰で覆われた地面が多数出現することになる。






中に入ると予想通り、足の踏み場もない状態になっていた
かなり腐敗が進みこれ以上進むことは出来なかった。





しかし、素晴らしいものを発見。

野球ファンにはたまらないであろう
45年前のスポーツ新聞だ。


記事には南海ホークス(現ソフトバンクホークス)について書かれているものだが
ご覧の通り、皆川という当時のホークのエースが22連勝したということについて書かれている。

現在は投手の酷使を防ぐためローテーション制度というものが敷かれていて
先発投手は連戦連投することがないため
シーズンの登板回数は25程度だが

この当時はエースが連戦連投は当たり前の時代。50登板は当たり前という中で 
この記録が生まれたのも肯けるが
(もちろん22連勝というのは凄い記録)


ついに現代において抜かれないであろうこの記録を楽天の田中将大投手が
シーズン 24勝0敗1Sという前人未到の
大記録を達成したことはいうまでもなく
恐ろしい事実である






すっかり野球の話になってしまったが
話を戻そう





外部からよじ登って中に入ろうとしたようだが、頭をうって失敗したロックマンを
尻目に次の物件へと進んだ。









中に入るとそこにはタイプライターがあった。







見上げると古い時計。
時間は6時10分で止まっている。
それが夕暮れ時だったのか、
小鳥が囀る早朝だったのかは誰も知らない












ここは日窒米穀店だったようだ。
この看板は確かに30年前までは確かに使われていたみたいだ。





商店ということだろうか。
陳列棚が散乱していて商売の痕跡たるものがそこらには散らばっていた。










当時の雰囲気、風がそこには存在していた









我々はまだ見ぬ廃墟を探すため
この場を後にした。



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