はじめましての皆さんもお馴染みの方々も

こんにちわ、りゅうのすけです


かなり昔に不定期で書いていたブログをまた書きはじめてみようと思う


ひっそりと書き記すので、いつか誰かに見つけてもらって足跡を辿ってもらえたらなと


まず僕の事を知らない方に簡単に自己紹介


岐阜県岐阜市出身

ミュージシャンと役者の二刀流で活動する

”シンガーソングアクター”として都内中心にいろんなとこで歌ったりお芝居したりしてます。


せっかくなのであまり話したことない昔の事とかを話そうかなと思う




岐阜県岐阜市の端っこ

校区内にコンビニがひとつもなく、田んぼと山に囲まれた田舎町で生まれ育ちました


小さい頃からおとなしく、あまり主張がない子だったみたいです


そんな気弱な僕は昔から子供ながらに周りとのズレに悩んでいました


他の子が出来ることがどうしても出来ない

会話が噛み合わない

先生が言ってる意味がわからない


でもなんとか馴染みたくて、1人になりたくなくて


周りに合わせてみたり、内に隠してる想いを誰にも打ち明けずに何年も過ごしてました


もっと喋りたいのに

分かってほしいのに


そんな毎日が苦痛で恥ずかしくて辛かった


…でもそのかわり僕には何となく他と違う才能があった


他の人ができない事が出来たり、小さい運が良かった(運動会や行事の景品とか当てちゃうタイプ)気がする


思わぬところでホームランを打つというか笑


そんな学生時代

今でも明確に覚えてる事がある


とある日の合唱の授業で歌ってる時

ほかのみんなの歌を聴いてる中で「多分俺この中で1番歌上手い」って思った瞬間があった


ただ、そんな事なんも意味をなさないと思った


周りに合わせながらなるべく目立つ事なくやりすごした


誰も僕にそんな興味ないんだ

っていうのが一番にあった


中学2年くらいになると、考えることも増えたり周りからいろいろ言われたり


何の刺激もない繰返しの毎日の中で、内申点や成績を上げるために必死にアピールをするみんな


同じタイミングで手を挙げて、ノートを書いて

先生達はしきりに「将来の為だ」と力説する


僕もなんとか必死について行ってたけど、ずっと疑問があった


もちろんちゃんと勉強してお利口にして真っ当に生きてる人のが立派だ


でもそれができない人も一定数いる


植え付けられる常識と都合のいい言葉


きっとこれが普通ってやつ

その普通が苦痛だった


こんな檻の中から抜け出したい

そんな想いをずっと抱いてました


振り返れば少ないけど友達もいたし、それなりに恋もした

よかった事もあったと思う


でも正直綺麗な思い出じゃない


高校にも最初は行く気はなかった

けど「高校くらい出とけ」って親に言われたので行く事にした


せっかくなら地元のしがらみもなく誰も僕の事を知らない場所で新しい人生を始めようと思ってお隣の愛知県の学校に通う事にしました。

(実際、成績が悪すぎて近隣に行ける学校がなかっただけですが笑)


ただ、ここで少し僕の心境が変化します


そこには恐らく自分と似たような感性や感覚を持ってる人達が沢山いたんです


直接言葉にしなくても不思議と波長が合って心地いい

そこで沢山の仲間ができました

やっと理解者が現れたって感じでしたね


その反面、高校でも僕の疑問が消える事はありませんでした


思春期特有のみんなでいきがって反発して、いろんな人を困らせたと思います


「社会に出たらこんなもんや」


先生達が口を揃え言った言葉


たしかにそんなもんなんかもしらん


でもこの世界のどこかにはきっと僕の知らないもっと自由で心地いい場所がある


いろんな世界を見たい


そう思って高校卒業後に今度は国を飛び越えます


たまたまアメリカに叔母が住んでいたのでそのコネを使いテキサス州のダラスという場所で生活を始めました


先生や周りはビックリしてましたね


今考えるとかなりラッキーでなかなか無い環境に恵まれたって思います


もちろん英語力は中学生以下だったので沢山苦労しました。。


しかし、そこで見た毎日はとても強烈で刺激的でした


岐阜の片田舎で育った僕には衝撃

みんな自由に伸び伸び生きてる


こんな世界を知らなかったのが悔しいって思うほど


世間体も気にしない

自分を縛る檻もない

みんなからハッピーなオーラを沢山感じたんです


もちろんアメリカは格差社会だし、いろんなデリケート問題もあります


それでもみんな生きててどこか楽しそうでした


ある日街をぶらぶらしてる時に居合わせたストリートパフォーマー(そもそも田舎者なので路上でパフォーマンスしてる人を見た事無かった)を観た時に全身に鳥肌が立って


「これだ!」と直感的に思った


もっとこの国に馴染めるように頑張ろうと決意しました


しかし、18歳の少年がひとりぼっちではじめての海外で生きるには過酷すぎました


いろんな事情があるのですが、ここで起きた出来事はまた後々話そうと思う


結論から言うと、僕は精神的な病気になってしまいました


髪は抜け落ち、体調もどんどん悪くなりまともにコミュニケーションも取れなくなりました


そもそも話す人すらいなくて、ストレスのはけ口も無くて


あの頃の僕はあまりにも弱すぎたんです


自分を変えたくて新しい世界に出たのに結局何も変えられなかった


沢山の人がお膳立てをしてくれたのに居場所を見つけられなかった

自分の無力に絶望したんです


…でもそんな時に僕を常に救ってくれたのが音楽でした


偶然耳にした叔母の家にあったとある1枚のCD

ありきたりでありがちな理由ですが、その音を聴くだけで胸の澱みや不安を少し和らげてくれる気がしたんです


音楽を聴きながら気付けば毎日常に泣いてました


…こんなとこで終われない

もっかい人生やり直す


時間はかかったけどなんとか病気を少しずつ克服した後、20歳でまた日本に戻り生活をはじめました


このきっかけも後々話そうと思うんですが、ひょんな事から地元の劇団に入り演劇を始める事になり、その面白さに目覚め20歳で”役者”として上京を決意する


みたいな感じで今に至ります

何故それを経て現在東京で”音楽”をやっているのか?


これも偶然の産物

いろんなきっかけがありました


それは東京で僕の人生を変えてくれたとあるユニットを結成した事からはじまります


でもこの話しはまた後々にしましょう

長くなりすぎるので


そしてあれから7年

いろんな時代を経て


2022年8月

僕は新たな冒険を始めます


株式会社whynotが手掛ける超懐J-POPボーカルグループ「月影のeden」のメンバーとしての活動を開始する事になりました。


この経緯もまた後々話します


とにかくまた人生の中で大事な時間が増えそうです


コロナ禍になってからあまり上手くいかない日々が続き、自分自身の在り方に迷っていたここ2年


でも辞めるって選択肢は無かった


そんな事も含めて今までの全ての時間に意味があったから繋がった今回の物語


必ず誰かが自分を待っている

僕の、僕らの夜明けは近い


僕はひとりぼっちの寂しさやどん底を知ってる

人本来の温かさも知っている

だから綴れる言葉や歌える歌がある


あの時自分が救われたように

迷える人達や世の中を照らせるように引き続き歌っていくし、新しい仲間達と共に夢の先へ進む


その旅路を振り返った時、応援してくれる皆さんがずっと側にいてくれたらいいな


これからの僕に期待してください。