葬儀 | マットのブログ

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朝9時より、母の葬儀が行われました。

母との最後のお別れでした。


お通夜にも来てくださってたお友達、近所の方の姿も見えました。

母がいかに慕われる人柄だったかが伺えました。



母としばらく疎遠だったお友達も来てました。。。


父、兄、義姉、兄の子供達、

義兄、姉、姉の子供達、

旦那、私、私の子供達、

母の弟たちである叔父たち、

叔母、母の義姉、

兄の義父、

姉の義父母、

私の義父母、

私の義兄、義姉夫婦、

母の教え子であったMさん

が順番に焼香をし、

母と最後の別れに来てくださった方たちの焼香が

行われました。



一通りの式が終了し、

母の棺が会場の中央に運ばれました。


八事の火葬場では、棺が開けられることはないので

ここで

ほんとに、ほんとに、

本当に、母と最後の別れとなります。。。



ここで初めて気づいたんですが、、、

最後の別れで、

棺にお花を入れることが出来るのは、

親族だけなんですね。。。


一般の方たちは、会場から出て行って、

その後に親族だけで行われたので

え?他の人はここでお別れなの??と正直びっくりしました。




みんなで母の棺にお花をいっぱい飾ってあげました。

りゅうとなおがそれぞれ、母に書いた手紙も入れました。

母の同級生の方から昨日預かった、

一緒に旅行に行ったときの写真も入れました。

姉は、父と母が喜寿のお祝いの時にみんなでご飯を食べにいった時に

撮った写真を入れました。


ほんとうは、母が使っていた眼鏡や、杖も入れてあげようかと迷いましたが、

なにぶん、そんな事をゆっくり考えて相談している時間もなかったし、

母の形見を入れてしまうのはちょっと気が引けたのでやめました。



母のほっぺも、首も、

冷たかったけど、

まだ柔らかかったです。


口元は微笑んでいるようで、、、

その、最後の別れの瞬間までも

現実の出来事と思えなかった。。。


一体、いつ私は

母の死をほんとの事だと受け入れられるのだろうか。

葬儀の最中も、

母に会いに来てくれた人たちの顔を冷静に見ていたし、

ドラマでよく見るような

大声で

「お母さ~ん!!」泣き叫ぶような事もなかったし、

自分で、

自分がなぜこんなに冷静でいられるのかと

不思議でならなかった。。。



ただ、、、

閉じられた棺に

母の名前の前に 故 という文字が

書かれているのを見たとき、

無性にくやしかった。。。

「こんなの付いてない!! 付いてないもん!!」

それだけ、涙を流して声に出していた。。。



父が母の遺影を持ち、

木で出来た位牌、

姉が小さい骨壺?

そして、、、私は、大きい空の骨壺を持たされ、

母の棺と一緒にエレベーターに乗り、



母を見送る人たちに見送られ、

母の棺は霊柩車へ。。。



父がその助手席に乗り、

私たち親族は送迎のマイクロバスへ。


旦那の義父母、義姉さん夫婦は

火葬場には行かずに待っていると言いました。



今住んでいる家のすぐ下が、小さな葬儀場なので、

霊柩車が出発する時に出すクラクションはよく耳にしているけど、

こんなにも早く、実際にその音に送られるなんて、、、


マイクロバスでは兄の横に座って、普段通りの会話をしてました。

何度も言うようだけど、

こういう時なのに、なぜ平常心でいられたんだろう。。。?



15分ほどで火葬場に到着。

確か、火葬場もいっぱいで、

この時間しか取れないっと聞いてたけど、

他の葬儀場から来た同じようなバスがいっぱい停まっていました。


母が入る場所の番号は33番でした。

その隣も、隣も誰かが燃やされている最中でした。



そして、、、母の棺が、扉の中へ。。。

棺の上には、花束が置かれていました。

さすがに、無邪気にはしゃいでいた子供達も

この時は静かでした。



またマイクロバスに乗って、

すぐ近くの待合室まで案内されました。

そこで、1時間以上待ちました。


叔父さんたちは、全員集まるのが久しぶりなので、

たわいもない話で盛り上がっていました。

私も、旦那も、途中からその中に参加して笑っていました。




そして、時間になり、

また火葬場へ。。。

母が、、、

骨だけになって、出てきました。。。



あんなに、大きな体をしていた母が、、、

骨だけに。。。

なってしまった。。。



足の付け根の部分の丸い骨とか、大腿骨とか

しっかり残ってました。


昔の人だからこれだけしっかり骨が残ってるんだねって

誰かが喋ってました。


そこから、係の人が必要な骨を拾ってくれました。

そして、順番に、

骨壺の中へ

2人ずつ一緒に箸でつまんで入れました。


当初、火葬場の決まり事で、

10名までしか収骨はできないと聞いていたけど、

実際には10名以上で、

父、私たち兄弟、それぞれの配偶者、

おじさんたち、姉の子供達、

いとこ、

そして、教え子のMさんも

骨を拾うことができました。




何年か前、まだ私が結婚する前に

義姉のお母様が亡くなった時に、

火葬場まで行って、骨を拾ったことがありました。


それ以前に、ずっと昔、まだ子供だったころ、

祖母が亡くなったときに

ここまで来た記憶がはっきりと私には無いんですが、

義姉のお母さまの葬儀をまじまじと観て、

すごく精神的にずしっと重かった記憶があります。


ただ、、、母の骨なのに、、、

すごく悲しいのに、

なぜか、やっぱり目の前の出来事を

受け入れられない自分がいました。


さすがに、りゅうとなおも、

目の前の 名古屋のおばあちゃんが骨になってしまったのを見て、

かなりのショックを受けたようです。




母の骨が入った骨壺を持って、

葬儀場へまたマイクロバスで帰りました。

帰りは私は母の位牌(仮の)を持って行きました。




本当は、先に初七日の法要の予定だったんですが、

お寺さんが他のお葬式かなにかが入っていて、

法要の前に、お食事となりました。

なんていう名前の儀式か忘れてしまいましたが、、、。



そこで、1時間以上、会場の厨房で作られた

できたてのお料理を頂きました。


喪服を着替えるのがめんどくさかったので、

着たまま私は食べてましたが、

食べる前からあまりお腹は空いてなかった。

というより、母が亡くなってから、

あまり食欲がなかったです。


出てくる料理もけっこうな量で、

最後のご飯は全部食べられなかった。




岡崎のN叔父さんは、

いつも口が悪くて、でもおもしろくて、

よく突然実家にも遊びにきていて、

母とよくふざけあって楽しんでいました。


そんなN叔父さんは、

たぶん一番さみしくなるんでしょうね、

そのさみしさを紛らわせるかのように

ずっとしゃべりづめで、

ふざけづめで、

たまたまNおじさんの目の前に座った、

義父母が戸惑っていないかな?と最初不安でしたが、

楽しんで会話していたので、安心しました。

その隣に座っていた義姉さんも相当楽しそうに

会話を聞いて笑っていてくれました。


よく、Nおじさんは私の方に

「ね、◯◯子!!」とふってくるんですが、

この時はもう全開で、

私もおじさんとの掛け合いを楽しみました。



岡崎の上から2番目のK叔父さんが、

「Nはちょっとふざけすぎだ、、、いかんな」と

渋い顔をしておばさんと喋っていたようで、

それをKおじさんの前に座っていた義兄さんが聞いていたそうです。





食事の後、初七日の法要となりました。

さっきのにぎやかな雰囲気とは打ってかわり、

またシーンとした雰囲気の中、

親族だけの法要でした。



なんだか、、、ここまで、

ほんとに時間がない中、バタバタといろいろ準備やら

話し合いやら、決めなくちゃいけない事、

やらなくちゃいけない事がありすぎて

ほんとに、母と最後の別れだったのに、

ゆっくり別れを惜しむことができたのか、、、

よくわからない状況で終わってしまいました。


でも、、、母はもう

いないんですよね。。。


時間が経ったら、

きっと、

いろいろ

思い返す時が

来るのでしょうか。。。?