たまには音楽の話を。

 

最近のJ-POPは新たな扉を開いているような気がします。

10年前の状況からすると、とてつも無い才能のアーティストがたくさん出てきています。

 

特に音楽理論に関して高度な制作をしている楽曲が多いですね。

 

洋楽に比べてもその緻密さや作品の完成度は群を抜いているし、

後5年では世界を席巻するアーティストもこの日本から登場するだろうと密かに期待しています。

 

しかしその日本を追い抜いて先に世界へ出たのはお隣の韓国ですね。

特にBTS(防弾少年団)の活躍は凄まじい。

 

今やニューヨークのビルボードを騒がしている。

アジア人としては坂本九さんの「sukiyaki」以来の大快挙です。

 

さて、僕がKPOPという単語を初めて聞いたのは今から25年程前か。

 

15年ほど前から、個人セッションのお客様の話題の中に韓国、KPOPなる単語が増え始めました。

 

韓国ミュージック?何だ?今そんなものが流行っているのか?(何と失礼な)

正直なところコリアンミュージックなんてチョー・ヨンピルしか知らなかったし、韓国とは音楽の国のイメージなかった。

 

K-POP大好きだというお客様にも

 

「ハングル語の歌なんて聞いても楽しくないでしょう?」

 人の情としてついつい、いらぬお節介的な発言してしまう。

 

「別に私が好きだから良いじゃないですか」

 

まぁ確かにそうだ。好みは人それぞれですね。

まさに余計な御世話であるし、蛇足だ。

 

言われたクライアントは憮然としてる。

当然だ。そんなの人にとやかく言われたくない。

 

KPOP好きに共通するものは、熱烈であるということに尽きるでしょう。

 

日本のジャーニーズのような熱狂ぶり。

初め。僕はその音楽や世界観についていけず呆然としたものです。

 

韓国が音楽の国になったのは大衆文化解禁をしたからだ。

 

正式には1998年(平成10年)10月に、大韓民国大統領金大中が来日し、衆議院本会議場での演説で「日本の大衆文化解禁の方針」を表明。以降、日本の大衆文化を順次受け入れ始めた。

 

そこから一気になだれ込むよう日本の音楽、韓国音楽の融合が始まったのです。

 

それでもKPOPとはなるべく距離を置いていました。

 

僕は韓国人や半島を理解していなかったからです。

 

しかし、その鎖国状態もある日、当時小学五年生の娘のKーPOPデビューによって開国させられた。

 

 一番最初になだれ込んできたのは少女時代でした。

 

本物かどうか?は別として長い足をアルゼンチンタンゴのようにくねらせて踊るダンスには驚いたし、娘はYouTubeの映像と一緒に踊り出したのは心底驚いた。これまでの日本にないダンスと、80年代JーPOP香り。

 

娘が好きなので、これ以上距離を取ってもいられない。

少女時代、東京ドーム公演から僕も参戦と相成った。

 

さて、そんなKーPOPな日々もbig bangの登場でさらにヒートアップする。

 

歌っている曲も良くわかないまま。大阪長居スタジアム、名古屋ドーム、そして韓国ソウル2days公演とbig bangキャリアを育てて、いつしか僕はbig bangの虜になっていました。

 

音楽に?ダンス?いやいや勿論それも素晴らしいが、それ以上にその音楽に向かう直向きさに打たれたのです。

 

韓国という徴兵制がある国の宿命として30歳までに兵役を2年間御勤めしなければならない。

どれほど人気者であっても、そのキャリアを2年間停止する。

 

多くのKPOPアイドル達はこの兵役の時期にパワーダウンして消滅します。

 

だからこそ、多くのKーPOPアーティストがその火を消さないように、燃え尽きないように直向きになるのだ。

 

さらに韓国国内の音楽市場が小さいために必然的にアジア全域、アメリカ、ヨーロッパにも進出する。

 

そのために英語はもちろん、日本語、中国語もレッスンに入っている。デビューまでに10年レッスンを積んで下積みするのが普通だ。これだけ真面目に音楽に取り組んでる姿に打たれるだ。

 

それはきっと僕らが昭和に置いてきた本来の日本人の勤勉さでもあるからだろう。

 

今はK-POPに水を開けられた感じのJ-POPですが、勤勉な日本民族は近い未来K-POPの築いた世界のK-POP市場に追いつき追い越すだろう。

 

アジア内で競い合って世界市場を作り合っていくことは本当に素晴らしい事だと思う。

 

パート2に続く

 

HAL拝