うちの息子もようやく4歳。男の子だけど赤ちゃんが大好きです。
半年ほど前から家のあちこちに飾ってある赤ちゃんの写真を見ては、
「ねえねえ、この赤ちゃんはだあれ?」と聞くようになりました。
「これはね、ヒロくんのお姉ちゃんのユキちゃんだよ。ヒロくんが生まれる前に死んじゃったの」
最近、その説明の意味がようやく理解できるようになったようです。
他の兄弟がいるお友達を見るととても羨ましそうに
「きょうだいなの? ねえ、きょうだいなの?」と訊きます。
「なんで僕だけ、お姉ちゃんと遊べないの?」と言って泣かれたときはこちらも辛かった……。
ごめんね、お母さん、体が悪いからもう赤ちゃん産んじゃだめなんだよ。
ほんとはユキちゃん産むのだってお医者さんに反対された。
ヒロくん産んだときは本当に死にそうだったの。
いつか、ヒロくんにかわいいお嫁さんが来るから、そしたら赤ちゃんを作ればいい。
それがきっとユキちゃんだよ。
そう説明したら納得してくれました。
でも「えーっ、でもぼく、赤ちゃんの作り方わからないよー」
と言われてこれには苦笑。夫が
「大丈夫だ、オマエが知らなくてもきっとお嫁さんが知っている」
とつっこんで大笑いになりました。
結婚して10年近く経ったとき、持病の腎臓病が悪化して腎不全に陥り、医師から
「人工透析をはじめる時期がきた」ことを告げられた。
高校の頃から腎臓が悪く、このままいくといずれは人工透析しなければならないことは知っていた。
幼稚園の一人息子もスクスク育ち、仲間で始めた仕事もうまく行き始めた矢先の出来事だったので、ひどく落ち込んでしばらく鬱状態が続いた。
また、一生続く食事療法ではカミさんに相当の精神的負担を与えてしまい、自律神経失調症に追いやってしまった。そして何とか出ていたおしっこも完全に止まってしまった。
1回4時間、週3回の人工透析にようやく慣れ始めた1年後、65歳の父親から
「腎臓の移植をすれば透析をしないですむことを聞いてきた。私の腎臓を提供するから考えてみてくれ」
と申し出があった。
もちろん自分でも移植のことは知ってはいたが、父親の年齢のこともありこちらから言い出せなかった。
話はとんとん拍子で進み、半年後とうとう移植手術をする日を迎えた。
準備で先に入っていた父親が、カーテン向こうの手術台で医師と話している声が聞こえた。
医師が「何かお話しますか?」と二人の間のカーテンを開けると生体モニターと点滴でつながれた裸の父親が横たわっていった。
子供の頃から「たくましい」と思っていた父親の裸が、なんだかとても年老いていてみすぼらしく、ふいに「俺はなんとひどいことをしてしまったのだろう」と後悔し始めた。
「よし、お互いがんばろうな」
言葉少なに言った父親の目に涙であふれているのを見て、「申し訳ない」とか細い涙声で答えるのが精一杯だった。そして意識が遠くなり、、、
手術の2日後、身体にたくさんの点滴チューブをつけ、切開した部分をかばいながらまだ動くことのできない私のベッドまで歩いてきた。
顔は痛みでゆがんでいたが、少しでも私に心配をさせないためか、いつものように笑い顔を作りながら、足を引きずって来た。
「成功してよかったな。おしっこもずいぶんと出ているみたいだな。俺のほうはもうこんなに歩くことができるから心配するな。どうだ、傷は痛むか?」
上ずる声でそう言った父親に、もう涙を止めることはできなくなり、人目をはばからずしばらく嗚咽した。
「人工透析をはじめる時期がきた」ことを告げられた。
高校の頃から腎臓が悪く、このままいくといずれは人工透析しなければならないことは知っていた。
幼稚園の一人息子もスクスク育ち、仲間で始めた仕事もうまく行き始めた矢先の出来事だったので、ひどく落ち込んでしばらく鬱状態が続いた。
また、一生続く食事療法ではカミさんに相当の精神的負担を与えてしまい、自律神経失調症に追いやってしまった。そして何とか出ていたおしっこも完全に止まってしまった。
1回4時間、週3回の人工透析にようやく慣れ始めた1年後、65歳の父親から
「腎臓の移植をすれば透析をしないですむことを聞いてきた。私の腎臓を提供するから考えてみてくれ」
と申し出があった。
もちろん自分でも移植のことは知ってはいたが、父親の年齢のこともありこちらから言い出せなかった。
話はとんとん拍子で進み、半年後とうとう移植手術をする日を迎えた。
準備で先に入っていた父親が、カーテン向こうの手術台で医師と話している声が聞こえた。
医師が「何かお話しますか?」と二人の間のカーテンを開けると生体モニターと点滴でつながれた裸の父親が横たわっていった。
子供の頃から「たくましい」と思っていた父親の裸が、なんだかとても年老いていてみすぼらしく、ふいに「俺はなんとひどいことをしてしまったのだろう」と後悔し始めた。
「よし、お互いがんばろうな」
言葉少なに言った父親の目に涙であふれているのを見て、「申し訳ない」とか細い涙声で答えるのが精一杯だった。そして意識が遠くなり、、、
手術の2日後、身体にたくさんの点滴チューブをつけ、切開した部分をかばいながらまだ動くことのできない私のベッドまで歩いてきた。
顔は痛みでゆがんでいたが、少しでも私に心配をさせないためか、いつものように笑い顔を作りながら、足を引きずって来た。
「成功してよかったな。おしっこもずいぶんと出ているみたいだな。俺のほうはもうこんなに歩くことができるから心配するな。どうだ、傷は痛むか?」
上ずる声でそう言った父親に、もう涙を止めることはできなくなり、人目をはばからずしばらく嗚咽した。
親父が俺がガキの頃からずっと
「お前が二十歳になったら一緒に飲むのが夢や」って言ってて、子供心にうんうん聞いてたもんだ。
「その日のために練習や」と言って中二くらいから頻繁に居酒屋に連れてかれてたけど。
今年初めて自分の力で金を稼ぎ、その金で親父に生まれて初めて酒を奢った。
あんまり顔には出さなかったけどやっぱり喜んでたと思う。
頭悪い親父だけどあんたの事は結構好きだよ。
いつか腕相撲あんたに勝ってみせるからな。
「お前が二十歳になったら一緒に飲むのが夢や」って言ってて、子供心にうんうん聞いてたもんだ。
「その日のために練習や」と言って中二くらいから頻繁に居酒屋に連れてかれてたけど。
今年初めて自分の力で金を稼ぎ、その金で親父に生まれて初めて酒を奢った。
あんまり顔には出さなかったけどやっぱり喜んでたと思う。
頭悪い親父だけどあんたの事は結構好きだよ。
いつか腕相撲あんたに勝ってみせるからな。
うちのハハオヤが言ってた話。
私は、年子の女2人姉妹の妹なんだけど、姉は生まれたときからすごく手のかからない子だったらしい。
姉が一歳三ヶ月で私が生まれてからも、母はそれにかまけて私にかかりきりになっていたそうだ。
姉が幼稚園に入園した時、入園式で園長先生に、
「明日からお母さんと仲良く手をつないで、登園して下さいね。」と、言われた。
次の日、母が姉と手を繋いで行こうとしたら、姉は手をもぞもぞ動かしてちゃんとつながなかった。
母が、「○○ちゃん、何してるの。ちゃんとつなぎなさい。」
と言うと、姉は「お母さん、手ってどうやってつなぐの?」
と聞いたそうだ。
それまで、出かけるときは母は私のベビーカーを押し、姉は母のスカートや、バッグの取っ手、ベビーカーのフレームなどをつかんでいた。
母は、こんな小さい子供が手も満足につなげないなんて、自分はなんという事をしてしまったのかと、情けなくて涙が出てきたって。
私はそれまで、姉のことをワガママで勝手な嫌な女と思っていたのだけれど、そう思っていた自分が少し恥ずかしかった。
今では、お互い結婚してすごく仲良くなったけど、自分に子供ができたら、姉のような思いはさせないようにがんばろうと思う。
私は、年子の女2人姉妹の妹なんだけど、姉は生まれたときからすごく手のかからない子だったらしい。
姉が一歳三ヶ月で私が生まれてからも、母はそれにかまけて私にかかりきりになっていたそうだ。
姉が幼稚園に入園した時、入園式で園長先生に、
「明日からお母さんと仲良く手をつないで、登園して下さいね。」と、言われた。
次の日、母が姉と手を繋いで行こうとしたら、姉は手をもぞもぞ動かしてちゃんとつながなかった。
母が、「○○ちゃん、何してるの。ちゃんとつなぎなさい。」
と言うと、姉は「お母さん、手ってどうやってつなぐの?」
と聞いたそうだ。
それまで、出かけるときは母は私のベビーカーを押し、姉は母のスカートや、バッグの取っ手、ベビーカーのフレームなどをつかんでいた。
母は、こんな小さい子供が手も満足につなげないなんて、自分はなんという事をしてしまったのかと、情けなくて涙が出てきたって。
私はそれまで、姉のことをワガママで勝手な嫌な女と思っていたのだけれど、そう思っていた自分が少し恥ずかしかった。
今では、お互い結婚してすごく仲良くなったけど、自分に子供ができたら、姉のような思いはさせないようにがんばろうと思う。
「○○おにいさん、こんにちは。僕のお母さんが、今度○○おにいさんのお父さんと結婚するので、僕と○○おにいさんはきょうだいになることになりました。僕はお父さんができることと同じくらい、自分におにいさんができるのがとてもうれしいです。」
俺のおふくろは、俺が18のときに親父が迎えた後妻だが、メス犬だった前のおふくろではなく、本当のお袋だと思ってる。
結婚が決まってから、初めて俺はおふくろと新しい弟に会った。
半ズボンにブレザー、緊張した9歳の坊主から俺はこの手紙をもらった。
俺も一人っ子で、本当は嬉しかったのに照れくさかったから、かなり無愛想にその手紙を受け取った。
だけど新しい弟に会ったのはそれが最初で最後になった。
弟はそれからすぐ事故で死んだ。
俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたらエロ本をくれてやるつもりだった。
学校でいじめられたら、仲間連れてお礼参りしてやるつもりだった。
タバコをおぼえ始めたらぶん殴って兄貴風吹かして叱り付けるつもりだった。
単車だって、俺のお古をくれてやって兄弟で走りに行くつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、そして彼女ができたら、からかってやるつもりだった。
弟の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の邪魔をする。
「ふざけんなよ兄貴ぃ!」
なんて言われたらとっくみ合いの喧嘩をして、おふくろが止めに入って、二人してどやされる、そんな光景を夢に見てた。
葬式では、おふくろよりも俺の方が激しく泣いた。
友達が心配するくらいに狼狽して、一人で立っていられないくらいに。
タイムマシンがあったら、ほんの一週間前の自分にあって胸ぐら掴んでやりたいくらいに後悔した。
もっと優しくしてやればよかった。どんな想いで手紙を書いて、どんなに緊張して俺に手紙を渡したんだろうに。
俺は弟の代わりにおふくろを大事にしている。
この人こそが俺のおふくろだと思ってる。
「俺のおふくろを粗末にすんじゃねえぞ兄貴」
「わかってらぁ!るっせえよヴォケ!!」
弟とのそんなやりとりを、今でも空想しながらおふくろに接してる。
生きていたら、俺の弟は今年の春、大学に入学していたはずだ。
たった一回しか会わなかったが俺には弟がいた。
俺のおふくろは、俺が18のときに親父が迎えた後妻だが、メス犬だった前のおふくろではなく、本当のお袋だと思ってる。
結婚が決まってから、初めて俺はおふくろと新しい弟に会った。
半ズボンにブレザー、緊張した9歳の坊主から俺はこの手紙をもらった。
俺も一人っ子で、本当は嬉しかったのに照れくさかったから、かなり無愛想にその手紙を受け取った。
だけど新しい弟に会ったのはそれが最初で最後になった。
弟はそれからすぐ事故で死んだ。
俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたらエロ本をくれてやるつもりだった。
学校でいじめられたら、仲間連れてお礼参りしてやるつもりだった。
タバコをおぼえ始めたらぶん殴って兄貴風吹かして叱り付けるつもりだった。
単車だって、俺のお古をくれてやって兄弟で走りに行くつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、そして彼女ができたら、からかってやるつもりだった。
弟の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の邪魔をする。
「ふざけんなよ兄貴ぃ!」
なんて言われたらとっくみ合いの喧嘩をして、おふくろが止めに入って、二人してどやされる、そんな光景を夢に見てた。
葬式では、おふくろよりも俺の方が激しく泣いた。
友達が心配するくらいに狼狽して、一人で立っていられないくらいに。
タイムマシンがあったら、ほんの一週間前の自分にあって胸ぐら掴んでやりたいくらいに後悔した。
もっと優しくしてやればよかった。どんな想いで手紙を書いて、どんなに緊張して俺に手紙を渡したんだろうに。
俺は弟の代わりにおふくろを大事にしている。
この人こそが俺のおふくろだと思ってる。
「俺のおふくろを粗末にすんじゃねえぞ兄貴」
「わかってらぁ!るっせえよヴォケ!!」
弟とのそんなやりとりを、今でも空想しながらおふくろに接してる。
生きていたら、俺の弟は今年の春、大学に入学していたはずだ。
たった一回しか会わなかったが俺には弟がいた。