琉球島唄サウンド -3ページ目

琉球島唄サウンド

RyukyuShimautaSound

ハイサイ音譜週末楽しんでますかニコニコ

速いもので明後日からは2月ですよ桜の木も次第に花を咲かせピンク色に染まってきましたハチ

そして今週末は久々の再会が三組ありましたニコニコ





週初めには、マイマクのユミさんがご家族とマイマクのまゆさんを引き連れて来店うりふたつの親子に一斗くんのわんぱくで可愛いらしい愉快なご家族で、皆さん賑やかに楽しいおしゃべりありがとうございましたクマ





そして!去年の9月に、やまちゃんでのライブで知り合った大阪のフ河村ァミリーがなんと!?4ヶ月ぶりにまた、やまちゃんに帰って来てくれました!

なんと!!今回は、お友達も御一緒に誘って来てくれ前回同様、大所帯となりました♪

かなりフレンドリーな御家族で今回二度目の再会にも関わらず閉店までお付き合い下さいました河村ファミリーさんどうもありがとうございました!!



そして、やまちゃん大の常連客!!
森谷くんが帰って来てくれました♪この方、やまちゃんに来るために毎回仕事をハードにこなす、ある意味!?強者で初日に浴びる程に飲み過ぎて、二日目の夜は沖縄人の僕でもごめんなさい状態でしたが楽しい話しありがとう

さて音譜これから海の駅市ライブですカラオケ 今日はどんな出会いがあるのか楽しみですクローバー

でわパーまたあとからね~べーっだ!




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(思い出の詰まった三線)


島への思いが最近?強く
大切に残して行きたい様々な物が多くあります。

伝統芸能の盛んな家庭に産まれ三歳から身内の影響を受け

三線、舞踊を初めは見よう見まねでやって居たと言う

親の目を盗んでは床の間に飾ってある大切な骨董三線の箱を開け

中に在る先祖代々の貴重な三線を出して触って居たと言う

それをみかねた、母方の叔父が子供用の三線製作を知り合いの三線屋に依頼し

4歳の誕生日プレゼントにしてくれました

それから毎日、どこに行くもmy三線を手にしていたみたい♪

そしてある日、風邪をひき病院へ行った日の事…

いつものように片手にはmy三線で親の言う事すら聞き入れず駄々っ子

しょうがなく母親は病院の中まで三線片手には行ったそうです(笑)
診察を待つ間には自分流のチンダミに歌まで・・・


周囲のおじ~おば~はそれを喜び見知らぬ方々からお小遣いまで頂いていたという…

それから3ヶ月後…
島では毎年1月3日の日に長寿を祝う合同祝勝会が開かれる

島は里帰りして来た人と島民混ざりお祭り化している

人口1000人弱の島には、三線弾いたり踊りをしたりする子が居るらしいよ…

と僕の芸の話が瞬く間に広がってあた(^^;

身内でもないのに余興の依頼が何件も入って僕も親も売れっ子の芸能人状態(笑)

夜中商売道具を担ぎ周り、お年玉袋に入ったお捻りを頂いた記憶がある(^^;


つづく


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ハイサイ♪
地デジ化進んでいますか?(笑)

最近の三線人(^T^)YASUは
第二回もとぶ町以内さんしんの日の企画事務局として走り回ってますニコニコ
10年ぶりの去年、若輩者ではございますが町内にある民謡団体に声掛けをして復活[m:66]そして、毎年3月4日に継続をしようと事務局を立て今年も、さんしんの日に向け取り組んでいます


そんななか先日、琉球民謡界大御所のある方に御呼ばれを頂きお会いしてきました以前からお付き合いはあるお方では有りますが何かしでかしたのかと恐る恐る行ってみると、心配する様な事ではなくニコニコ和やかな話し…

そこでなされた話しは、民謡界のお話で今後の琉球民謡界の中でも重要な話でした。

先生の話では、山原から若手民謡界への架け橋としてあるプロジェクトの協力要請で平成の若手民謡歌手を育て山原から世に送り出そうというようなおはなしでした…

現在でも現役の山原からの民謡歌手の方々は多く、上原正吉先生をはじめ金城実先生・山里ユキ先生・湧川明先生・石原恵美子先生・とぅるるんてんさんなど現役で歌手として活躍してますが、その後にづつく若手の民謡歌手が居ないと言ってもよいほど
確かに、現役の先生方は現在は中南部を拠点に活動し研究所も中南部にある事から通う門下生は中南部の方々、そこでその後に居るのは東村出身の城間竜太くんと内地を拠点に活動する伊江島出身の知念こずえさんの二人のみ

そこで!プロジェクトの企画への協力要請がありました音譜

内容は:
山原にプロ養成の場所の設立
それにともなう協力要請

企画内容:
あざさい弁当の様なアマチュア養成所民謡版の設立をして民謡界への架け橋として養成して行く話しである


一部しかお伝え出来ませんが、また楽しみがふえました[m:72]





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今朝の沖縄タイムス(社会面)から



拘束型心筋症を患い、米国での心臓移植が必要な浦添市の要美優さん=神森中1年=を支援する募金額が26日、1億214万2475円に届き、目標額まで5千万円を切った。活動が始まって1カ月と6日。渡米のめどが付く、米医療機関に支払うデポジット(入院保証金の前払い)まで、あと一歩だ。美優さんは、こうした励ましに「手術まで、体調かんりやちりょうがんばります」と直筆で決意を記した手紙を送った。

 事務所には、募金のほかにも毎日のように手紙やプレゼントが贈られてくる。美優さんは25日、手紙などをもらった相手に感謝の気持ちを伝え「寒いのでみなさんも、かぜをひかないように気を付けて下さい」と気遣いを見せた。

 手術を受けるコロンビア大学病院にデポジット(1億1440万円)を支払うことができたら、渡米の手続きに入る。

 「美優ちゃんを救う会」には26日時点で、243企業・団体、38の学校やクラブ活動団体などから募金が寄せられた。美優さん宛ての手紙約60通や千羽鶴なども届く。募金箱は増え続け、会社や店舗など2275個に達した。

太田光さんの妻も

 支援の輪は、ブログなどを通して、熊本県や長野県などにも広がっている。

 25日には、人気漫才コンビ爆笑問題の太田光さんの妻で、芸能事務所タイタン社長の光代さん(46)が事務局を訪れ、寄付をした。事務所に所属する芸人が約10年前に臓器移植手術を経験したことから、活動を行う上での注意点や渡米手続きをアドバイスした。

 ボランティアで活動している同会スタッフを気遣い、飲み物や食料を提供する企業や個人もいる。

 父の俊明さん(46)は「一つ目のハードルを乗り越えられそうだ。皆さんの支援のおかげ」と感謝した。

テニス部先輩動く

 首里東高校は25日、約24万円を寄付した。美優さんと同じ神森中学校でテニス部に所属していた同校1年の山川茉里奈さん(16)が「後輩を助けたい」と活動を始めた。

 同校生徒を通して、塾や親の職場まで広がった。生徒会役員らの協力もあり、約1週間で予想以上の金額が集まった。山川さんは「美優さんに会ったことはないが、少しでも役に立てれば」と願った。


http://www.miyu-aid.com/home/index.html



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