お金の減らし方 森博嗣 著 | 猿の残日録

猿の残日録

いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

私の38年間の労働による収入の半分は不動産、1/4は生活費になった

 

今日、イオン那覇店のスーパーへ行ったら、相棒が2つ無料のおまけをもらっていた

 

1つは、ヨーグルトにシークワーサーゼリー(試供品)

もう1つは、糸満のカマボコに豆腐をおまけ

 

よくもらう人だなとは思うが、昔から不思議な人である

 

森博嗣さんは、住んでいたところも近い

高校は私も合格したが下宿できず入学辞退した

私の知人、ある会社の社長の母校

もし私が通っていたら社長と同期になっていた…

 

『お金の減らし方』という本は、以前に県図書で借りて読んでいる

 

当時、この題名に違和感あり、丁寧に読んだわけではない

 

今回、のんびり、森博嗣さんの他の本も同時に読みながら

最後まで読み終えた

 

 

 

森博嗣さんは、印税でお金を減らすことは不可能な人

 

『お金の減らし方』は、お金の使い方という意味らしい

 

 

印象に残った部分

 

お金は、目的ではない

お金を得ることが目的であるわけではない

目的を達成するための手段として、お金があるのである

これは、お金に価値があるのではなく、目的に価値がある、という意味でもある

 

多額のお金を持っていても、なにも良いことはない

そのお金を、自分が欲しいもの、やりたいことと交換しなければ、価値は生まれない

お金を失うことで、価値が得られるのだ

 

 

 

借金をして、今すぐに手近なものに飛びついてしまうと、あっという間に抱いていた夢は萎んでしまい、自分の将来に大きなツケを残すことになる

借金というのは、金を貸してくれた人の夢を実現するための手法であって、金を借りた人の夢はむしろ小さくなるのが道理だ

そのためにこそ、利子というものがあり、投資という商売が存在するのである

 

ローンというものも、単なる分割払いだと思っていたら大間違いである

三十年以上にもわたるローンを組んで、マンションや一戸建てを購入する人がいるけれど、実際の価値よりはるかに高い額を払うわけだから、得られる価値がそれだけ目減りすることを計算した方が賢明だろう

よほど今すぐに、という強い理由がないかぎり、避けた方が良さそうである

 

 

お金の価値とは、自分がやりたいことを実現するための可能性なのだ

そう考えている人ならば、楽をして金を増やそうなどと考える暇もないだろう

楽しいことが目の前にありすぎて、金を増やすことではなく、どんな順番に金を減らそうか、とばかり考えているはずだからだ

 

 

お金は、自分の満足と交換するためのものであり、価値があるのは、その満足の方なのである

 

仕事は、お金を稼ぐための手段である

しかし、お金が生み出されるからといって、仕事を愛してしまうというのでは、お金を愛することと同じである

 

 

 

作家になっても、十年間は大学に勤めていて、それまでどおり、まったく休みなく働いた

夜の十時頃に帰宅し、そこで夕飯を食べ、風呂に入り、すぐに寝る

二時間寝たら起きて、三時間くらい作家の仕事をした

そのあと、出勤までまた一時間半くらい寝ることができた

そういう生活をしていたのだ

それができる年齢だった、ともいえる

 

 

電子書籍が沢山売れるような時代になったから、今は絶版というものがない

欲しい人がいれば、いつまでも売れ続けるシステムなのだ

 

この生活では、もちろん収入をすべて使うことは無理である

つまり、僕は自分のお金を減らすことができない状態といっても良い

作家の仕事を一切やめてしまえれば、可能かもしれないが、それだって、どうだろうか……、わからない

 

稼いだ金の大部分は、税金と不動産になった

土地を買い、家を建てて引越を何度かした

今までのところ、僕は自分の持ちものを売ったことがないので、買ったものはすべて、まだ僕の所有物である

 

 

何にそんなにお金がいるのか、というと、借金の返済、つまり利子を支払っている

これに対しては、僕は助言ができない

借金をするな、という以外に、解決する方法がない

さきに小さな得を取るな、ということである

 

 

本当に必要なのか、とよく考えてみよう

おそらく多くのものは、他者に対する見栄であったり、自分が惨めだと思いたくなかったり、そんな「感情」に根ざした支出だと思われる

お金がないのだから、惨めなのは当たり前だ、と開き直った方がまだ健全である

そもそも、惨めだと感じるのは、単なる主観でしかない

自分の感情がコントロールしきれていないだけ、ともいえるのではないだろうか

 

 

考えるべきことは、自分は何をしたいのか、である

結局は、お金の減らし方が、人生における考えどころとなるだろう

何にお金を使うのか? 何を買うのか? その買ったものを、どう使うのか? そこから何が生まれるのか? 自分は、そのことでどのように変化するのか? それを考えることが、当面の課題、お金の使い道である

 

 

ようするに、自動車というのは、僕にとっては、役に立つもの、必要なものではなく、欲しいものだったのである

実用品ではなく、趣味のものだった

家族がみんなで乗れるとか、どんな用途があるとか、そういう基準で選んでいなかった

このあたりの感覚も、きっと一般的とはいえないだろう

 

しかし、これこそが、僕たちにとっては、とても大事なことなのである

必要だから買ったのではない

欲しかったから買ったのだ

 

お金がない場合には、欲しいものは欲しくなくなるだろう

少なくとも、僕たち(僕と奥様)はそうだった

買えなければ、買うことを考えもしない

 

 

一方、必要なものというのは、お金がなければ必要なくなるだろうか?

お金のあるなしに関係なく、必要だと感じるのではないだろうか

だからこそ、無理をして買ってしまうのである

必要なものは贅沢ではない、贅沢でなければ買っても良い、今すぐに必要なのだから借金をしても良い、というふうに考える

僕は、その考え方が間違っていると思う

 

贅沢がいけないという理屈は、僕には理解ができない

贅沢かどうかを判断することさえ、ほとんど無意味だと考えている

その判断基準の大部分は「世間体」のようなものであり、自分にとっての価値ではなく、他者から見られることを前提としたものだ

そういうものに支配されているから、贅沢はしていない、だけど必要なものはしかたがないじゃないか、という理屈を無意識のうちに構築しているのだ

結果として、分不相応なものに手を出して、将来に借金を残すことになり、大損してしまうのである

 

 

貧乏から抜け出せない人は、お金持ちの気持ちがわからないだろう

経験したことがないものは、誰だってわからない

子供には、大人や老人の気持ちが理解できないのと同じである

 

僕が知っている範囲では、お金持ちの人は例外なく、お金に対して細かい

無駄遣いをしない

むしろ貧乏な人ほど、不思議なほど無駄遣いをしているように見える

 

 

住宅は、人に見せて自慢するために建てるのではない

客を招き入れるためのものでもない

自分で使うための場所であり、つまりは道具と同じものだ

僕の場合は、洋服と同じだといえるかもしれない

 

違いは、値段である

 

今後、人間以外の労力で生産するようになれば、少なくとも自動車数台分くらいの値段にはなると思われる

 

 

住宅は、自分の生活を楽しむための道具なのだ

 

 

金銭的に独立していることは、お互いを尊重するうえでも重要なことだと思われる

大人というのは、その条件を満たしている人間のことだ

 

僕の父は、僕が幼稚園の頃から、それを言っていた

成人するまでは面倒を見るが、大人になったら自分の力で生きていきなさい

何をしても良いし、どこへ行っても良い

親の面倒を見る必要はない、と

 

 

お金を増やす方法は、細かく分類すれば無数にある

しかし、大きく分ければ、だいたい次に挙げるようなものといえるだろう

 

その第一の方法は、自分の時間とエネルギィを差し出して、その対価をもらう方法である

これは一般には「仕事」とか「バイト」と呼ばれている行為だ

 

 

お金を増やす第二の方法は、自分の持ちものを売ることだ

 

 

第三の方法は、投資である

 

第四の方法は、ギャンブルである

 

ギャンブルはお金を減らす立派な方法

 

 

仕事に「やり甲斐」を求める若者が多いみたいだが、彼らの「やり甲斐」とは、仕事をした客から感謝される、というものらしい

だが、世の中の常識というのか、社会の基本的な法則として、お金をもらう側が感謝をするのであるから、仕事で感謝されようとするのは、明らかな筋違いである

もちろん、困っている消費者を助けることもあるし、感謝されるような職種もある(たとえば病気を治療した医者などが好例)

けれど、それはお金以上の仕事をしてもらった、と相手が感じたときに出る言葉である

どうしても感謝されたい場合は、お金を受け取らなければ良い

非常に簡単に感謝されることができるだろう

 

 

仕事の基本は、自分が好きなものを作ることではない

「良いものを作れば売れる」というのも嘘だと思う

買い手が欲しいもの、社会が求めているものを、先んじて作るしかない

買い手にとって価値があるもの、つまり需要に目掛けて投入するものが、良い商品となる

また、仕事をする能力とは、自分の好き嫌いではなく、自分が他者より優れていることで価値を有する

多くの人がここを間違えているようだ

 

たしかに、好きなものが得意になるかもしれないが、僕が観察したかぎりでは、かなりずれている場合が多いと思う

好きだから、得意だと本人が信じきっているだけで、むしろ自分を客観的に見ていない人がほとんどだ

自分がそれに向いているかどうかは、自分の満足度で測ってはいけない

そういう主観的な見方しかできない人は、人の意見をもっとよく聞いて、修正をする必要があるだろう

 

 

お金を増やすことにエネルギィと時間を消費すれば、自ずとお金を減らすことができなくなるはずだ

これは、増やす方向の援助になる

増やせば増やすほど、あなたの楽しみの可能性は大きくなるのだから、それをときどき思い浮かべるだけで、既に一部元が取れていることにもなる

 

 

すべては、有意義にお金を減らすためである

そのために、一旦はお金を増やす必要がある

人によって、その金額の大きさはさまざまだ

そこは自分の欲求をよく観察し、見誤らないように……

 

 

誰もが、自分の思ったとおりに生きている

一見、不満を抱え、不自由を強いられているように見えるし、本人もそう自覚している場合が多いのだが、傍から見ると、誰もが自分が一番したいことをしている

 

 

これは、ポルシェに高い値段がついていることと同じである

高い値段とは、一種のペナルティであり、そんな大金を出してまで手に入れたくはない、と思わせるような値段設定になっている

ポルシェが欲しい人は、このハードルを越えるほど、ポルシェが好きにならないといけないわけである

 

 

人から褒めてもらいたい、優しくしてもらいたい、といった欲求は、お金でそういう演技をしてくれる役者を雇うことをおすすめする(実際、そういう商売が昔から沢山ある)

ロボットを買ったり、バーチャルリアリティの中で実現するならば、とても良い趣味だと思われる

 

人間の楽しみというのは、結局は自己満足なのだ

自分が満足できる状況へ自分を導くことが、つまり人生の目的であり、すなわち「成功」というものである

そのためには、お金は頼もしい道具だといえる

これを利用しない手はない

 

「お金がない」が口癖になっている人がいるけれど、それはほとんど「望みがない」と言っているのと同じ状況である

ただし、お金がないから望みがないのではなく、望みがないから、お金がなくなるのだ

 

自分が欲しいものをしっかりと把握している人は、それに向かうアプローチを考えるし、無駄なものにお金を使わない

だから、自然とお金持ちになる

欲しいものがない人は、そんなに欲しくないものに手を出してしまうから、お金を失いがちである

お金だけではない

時間もそうだ

 

 

他者を羨ましく思う気持ちは、とても大事だと思う

どうしてかというと、自分が欲しいもの、自分がしたいことを教えてくれるからである

価値があるものを知ることは、価値を手に入れるための第一歩であり、重要な目標をもらったことに等しい

だから、素直に憧れること、羨ましがることが、人を成長させる原動力となる

子供のときには、それができたはずだ

憧れることは、恥ずかしいことではなかった

それが、大人になると、恥ずかしくてできなくなる

素直ではなくなる、といっても良い

 

 

お金は、自分の欲しいものに使う

必要なものより、欲しいものを優先しなさい、というのが本書の主な内容だが、それはつまり、自分にとって価値のあるものを得るために使う、ということであり、結局は、それが自分の価値を見つける方法だ、と僕は考えている

 

 

土地も家も、何度か買ったり建てたりしたが、売ったことはない

自分で買ったものは、自分が欲しいものだった

だから、売る気になれない

ネットのオークションやフリーマーケットを見ていると、どうして、世間の人は、自分で買ったものをそんなに売りたがるのだろう、ととても不思議に思う