41歳の東大生 | 猿の残日録

猿の残日録

いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

2019年11月13日 出版

 

小川和人 著

1956年生まれ

1980年、明治学院大学社会学部社会学科卒業

証券会社勤務、学習塾講師、教材制作会社勤務

を経て、1988年、江戸川郵便局集配課勤務

 

1997年、東京大学教養学部文科Ⅲ類入学

2001年、東京大学文学部思想文化学科

(インド哲学仏教学専修過程)卒業

2016年、日本郵便株式会社定年退職

 

東京都江戸川区で育ち、結婚後

東京都豊島区(西池袋、目白)で暮らし

現在は神奈川県川崎市麻生区在住

 

趣味は内田樹氏の本を読むこと、映画鑑賞

野球観戦、競馬観戦、東京ディズニーシーで

一日をのんびり過ごすこと

家族は妻と子供二人(男)、孫一人(女)

 

 

以下、青字は本文引用です

 

黒字は私の感想や説明です

 

 

 

 

1991年(平成三)には二人目の子どもも生まれた

 

もう子供をつくることも卒業と思い

その年から、かつての持論に従い

大学再入学のための受験をはじめたのである

 

それから六年かかった

大学を国公立大学に絞ったのは

家族の生活が私の収入にかかっており

できるだけ大学にお金を使いたくなかったからである

 

なぜ「哲学」なのかということについては

私は「哲学」がしたいからである

 

私は「現代哲学」や「現代思想」にはまったく興味がない

社会学については、明治学院での四年間で、

中途半端ではあるが大学で学ぶべき基礎は一応学べた

 

実際、四年間のうち後半の二年間に限れば

社会思想史や社会学史など

また英語の基礎的文献の研究など

熱中して勉強できることも多かった

あとは一人でもできる(ような気がする)

 

私が今、知りたい、学びたいと思っているのは

私は今何をしたらよいのか

これから何をして、どう生きればよいのか、それだけである

 

それを私は、「哲学」と考えている

 

私は若いころは好きなことばかりやって、

多くの人に迷惑をかけてきた

後悔してもはじまらないのに、後悔の思いばかりである

 

そんな私が、これから何を考え、どう生きていけばよいのか

それを知りたいのである

 

知りたいのは、それだけである

 

 

p42  以下は p286

 

 

長いようで短い、あっという間の二〇年であった

さらにその前の二〇年を入れると

あっという間の四〇年であった

 

 

 

 

 

ふつう、41歳で東大生になったら

仕事は続けられないが、働きながら卒業

 

それもいい成績である

 

 

最初の1年間の履修科目

36科目の24科目をA、Bが10科目、Cが1科目

他の1科目はレポート提出で点数はない

 

二年生のときの先取り授業で、二一単位は取得している

残り六三

 

だが、今の私には、もう単位数も、点数も、何も関係ない

本郷までくることができたのだ

あとはやりたい勉強をやるだけである

ただ、かならず卒業する

それだけである

 

三年生のときの成績は、「優」が九つ

「未受験」が一つ

 

 

 

定年退職まで仕事を続けたのはなぜだろう

と思う人は読まれるとよいです

 

 

私は、なぜ赤門に行きたかったのかが知りたかった

 

可能性に挑戦するのは楽しいからしているのだろう

 

「あっという間だった」というのは

私が母親に人生をどうだったと聞いた答えでした

 

あっという間だから

やりたいことをしないといけないなと思います