この樹、「ももなんとか」 と聞いた (忘れた)
実を食べると身体が重くなって飛べなくなるから
実の水分だけコウモリが吸う
鍾乳洞 「島内最大の洞穴」
愛媛大学学術探検部(1972)や
山内・新垣(1978)などの報告があるぼか,
山内正らによって1990年に詳細な平面図と縦断面図が作成されている.
探検隊が、地下に通じる穴に入っていったら
1000坪を超える地底空間を発見
かつては「星野の穴」とも呼ばれていた
村が鍾乳洞の上の土地の所有者 星野さんから譲り受け
竹下内閣のときの「ふるさと創生基金」の1億円で整備された
完成したのが1994年で、一般人が簡単に入れる「観光洞」になった。
長さは1km以上に達するが,
洞口からの深度-40mで海水面と思われる水面に達して,それ以上の進入ば不可能となる.
洞口は4カ所にあり,陥没地形となっていて,樹木が繁茂している.
通常入洞する洞口は北側にあって, 幅4m,高さが1mある
現在は西側の洞穴に向かって人工のトンネルが造られていて, ここが入り口となっている.
自然の洞口からは斜洞となって,下っていく.
内部は,東側の洞穴と西側の洞穴,そして両者をつなぐ連絡洞から成っている.
東側の洞穴は,洞口からの斜洞を下ったところである.
この洞穴には石柱の発達が著しい.
鍾乳石には黒っぽい色を呈するものが多いが,
これは大戦中に防空壕として使用されていたことによると思われる.
その床は泥やフローストソに覆われている部分が多いが,その他のところでは散岩や落盤が見られる.
東側の洞穴の北側から西方へ向かって,大きな落盤が多く見られる連絡洞がのびる.
星野洞の進入路沿いでもっとも低くなるのはこの連絡路の底部である.
この底の部分には石灰岩の露岩が見られ,水流によって溶食された痕が観察できる.
西側の洞穴は幅35m・長さ90mのホール状の洞穴が主で,北側と西側にのびる支洞がある.
西側の洞穴の床は落盤の堆積であり,
ホールの周縁は落ち込んでいて,その落差は10mに達するところもある.
床の落盤の下部には洞穴状の隙間が多く存在する.
その天井にはストロ一・つらら石・ヘリクタイト ・カーテンが発達している.
床の落盤の上には石筍や石柱が発達する.
ホールは,幅は35mあるが天井高は5~6mであり, その広さは実感しにくい.
長いスロープを下りる
帰りは、上の写真右側の動く歩道で昇る
たどり着ついた先にある分厚い扉を開けて鍾乳洞に入ります。
鍾乳洞の中はかなり広い
左右、上下に階段がある
頭上注意 とある
狭い通路もある
探検隊が最初に他の穴から入ってきたのがこのあたり
と言われる場所に、泡盛が置いてある
南大東島には高校がないので中学を卒業すると
島を出て沖縄本島の高校に通います。
そこで島を出る前、中学卒業記念にそれぞれが
名前の書いた泡盛を星野洞に保管し、
二十歳の成人を迎えたらまた島に戻ってきてこれをみんなで飲むのです。
この風習が映画化されたのが旅立の島唄~十五の春~です
ホテル よしざと 大竹しのぶ さんの サイン色紙
十五の春ロケにてお世話になりました と書いてあります
昇りは、動く歩道 45m、 下りは右にみえるスロープでした
おつかれさま
洞内は、湿度100%、気温は高かった