死んだらどうなるの? | 猿の残日録

猿の残日録

いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

2019年11月出版  桜井識子著

 

 

 

抜粋です

 

 

選べる行き先は4つ!

奇跡の魂ツアーに出発しよう

 

という副題があります

 

 

1.輪廻転生コース

2.高級霊界で仕事をするコース

3.神様修行コース

4.仏様修行コース

 

半数以上の人が転生することを希望します

 

向こうに帰って、魂のケアが終われば、人生がいかに楽しかったかに気づきます

それまでのどの人生もしんどいことが多くあったけれど、でもそれ以上に楽しいことも、頑張ったと胸を張れることも、何かを成し遂げたという達成感もあった、ということを思い出します

 

その経験をもう1回したい! と切望する気持ちになるのです

 

輪廻転生コースは50回忌の向こう側の高級霊界に行ってからのことです

もっと早くに転生する場合もあります

 

子どもの年齢で死ぬと、長く生きていない分、世俗の垢などがついていません

高齢で死ぬよりも圧倒的に清いままで霊界に帰れます

そのような場合も飛び級になります

 

私の前世は特攻隊員でした

1945年に17歳の若さでお国のために亡くなったのですが、少年だったので成仏界に行くと飛び級でした

1962年に転生しているので、死後17年で生まれ変わっているのです

 

 

50回忌を終えて、あちらの世界にそのまま滞在を希望する人は高級霊界で仕事をします

職種はさまざまですから、自分がやりたい仕事が必ず見つかります

ほとんどの人が、ひとまずこれでいこう・・・・・・と思うのが、ご先祖様になることです

 

 

 

 

 

人生は温泉みたいな感じでしょうか

長くつかっている人もいれば、早々に出る人もいる、人それぞれなのです

そして寿命は自分が決めているので、たとえ人より短くてもまったく不幸なことではありません

計画通りなのです

かわいそうに思ったり、不憫だと憐れむことは、逆にあちらの世界に帰ったその人を悲しませます

 

寿命が長くても短くても、その時が近くなるとなんとなく察して穏やかに受け入れられるのは、自分が決めたことだからです

 

 

私は自分の寿命を夢で知りました

まだわかる能力が低かった頃ですが、息子を妊娠している時のことです

私の体の中(胸のあたりです)に香炉がありました

そこには線香が1本立てられています

もちろん火がついています

 

その香炉を見ていると、そこに新たに線香が1本、誰かの手によって立てられたのです

こちらももちろん火がついています

新しく立てられた線香は、77~78年で燃え尽きる長さだな、とわかりました

 

そこで「ああ、これは生まれてくる息子の寿命だ!」と直感したのです

ということは、もとから香炉に立っている線香は私の寿命ということになります

 

それは息子の線香に比べるとすでに短くなっており、残りが48年とハッキリ数字で見えました

多少の誤差があるとして、私は75~80歳であちらの世界に帰るのだな、と思っています

 

 

 

 

 

生きている時に「そろそろですよ~。心の準備をしたほうがいいですよ」とお知らせに来る人のこと

お迎えが来る人と来ない人に分かれるそうです

 

不思議なことに、お知らせに来る人は見知らぬ人というのが多いです

 

まったく知らない人が1人から数人でお迎えに来ることがあります

知識として知っておかれたほうがいい

知らなければせっかくお迎えに来てくれた人を死神と勘違いしてしまうから

 

お知らせに来るその人たちは悪い人ではありません

亡くなったあと、迷子にならないように心の準備をお伝えしに来た、それだけです

見た目も普通の人ですから全然怖くありません

ただ、その姿を死ぬ前に見るので・・・・・・この世の人ではない、という部分から幽霊や死神だと思ってしまうようなのです

 

恐怖をやわらげる方法として「ああ、お迎えだな~」と思ったら、どこの誰なのか、どうして自分のところに来たのか、など質問をしてみるといいかもしれません。「それってお仕事ですか?」と聞いても面白いように思います

 

死ぬ瞬間は、あちらの世界に「帰る」ということを魂がしっかり認識しますから、パニックになることはありません

淡々と悟ります

 

死ぬ時のことを知っておくのは悪いことではありませんし、不吉なことでもありません

あちらの世界を熟知していれば、いざという時に恐れなくてすみますし、死後、迷うことなく行動ができます

(ここが一番大事です)

 

さらに、少しでもよい状態であちらの世界に帰ろうと思うため、考え方や生き方がよい方向に変化していきます

最終的に、楽しい世界であるもといた場所に帰れることを思えば、つらい人生も「もうちょっと頑張っておこうかな」というふうにも思えます

 

 

 

 

死んだあとに残るのは、あれがイヤだった、これがつらかった、悲しかった、苦しかったということではありません

成仏できずにさまよっている幽霊ですら、そのような愚痴は言わないのです

つらいことやイヤなことをピックアップするのは生きている人間だけなのです

 

亡くなってから人生を思い返して感じるのは、あれが楽しかったし、これが嬉しかったな~、面白いこともたくさんあったし、しんどいことも経験したけれどいい人生だったな~、という満足感です

最後に心に残るのは、その人生をやり遂げた達成感なのです

「よし、もう一回やってみよう」という気持ちになる人が多いのはこのような理由からです

 

 

死後は決して暗いものではありません

自分だけがこの世からいなくなる、消滅するのでもありません

あちらの世界は帰るべき場所、今すぐにでも帰りたい場所なのです

それを思い出すと、「早く帰りたい」「地上がつらい」と思ってしまうので、人間には生まれる前の記憶がありません

 

死んだことを悔やむ、ガッカリする、死ななければよかったなどと言うご先祖様はいません

幽霊でさえ、そんなことは言いません (しつこいですが自殺は除きます。自殺した人は自殺をしなければよかったと後悔しています)

 

今できる最善のことは、あちらの世界に帰ることを最終的なお楽しみとして、帰るその日まで明るく前向きに生きることなのです

 

 

 

 

どのような人生にするのかという部分はそれぞれ細かさは違いますが、綿密な人生計画の人も、大雑把な人も、白紙の人も、共通してしっかり決めることがあります

それは、自分がどのような人物になるかということと、環境です

 

計画は本人の意思が優先され、守護霊が相談に乗る形です

 

 

 

現実界とあちらの世界は時間の感覚が違うので、人の一生なんてすぐに終わります

ですから、すぐに戻ってきます