住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち | 猿の残日録

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いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち

川口マーン恵美 1956年生まれ
 

1章 泥棒天国ヨーロッパ



ポーランド、チェコ、イタリア、スペイン
読んでいたらとんでもない国

落し物は戻ってこないドイツ



2章 エアロビのできないドイツ人


ニュージーランドのレスミルズインターナショナルという会社が
世界のジム界を制覇しており、ここで開発された
フィットネスプログラムが世界の多くのジムで採用されている

リズム感では圧倒的に日本の勝ち
ダンスを一拍目から始めない
ドイツ人の音楽的才能への大誤解
リズム感がいいのは、アフリカ人やラテンアメリカ人
音楽や体育まで日本の教育は優秀



3章 不便をこよなく愛すノルウェー人


0.5リットルの水のペットボトルが日本円にして400円近い
ビッグマックは、なんと1300円

賃金が高いので、購買力もあり、国内では
賃金と物価の釣り合いは取れているのだろう

レストランでは「高い割にまずい」ということが一度もなかった
それどころか、良い材料を使ってあるらしく、極めておいしい

要するに、クオリティー重視で贅沢なお国柄
日本のグルメで、お財布をあまり気にしなくてよい人たちには
おそらくとても満足できる国だと思う


ノルウェーは元から豊かな国だったわけではない
転機は、1969年に訪れた

北海とノルウェー海で石油とガスが見つかり
それまで貧しかったノルウェーは、一夜のうちに金持ちになった


オイルマネーで突然潤った国は、世界には他にもあるが、
ただ、それらの国では大抵、外国資本と、それと組んだ一部の
国民だけが富を蓄えた


ところが、ノルウェー人の凄いところは、そのお金で国民全体を
豊かにし、強い国を作ったことだ


石油・ガス産業は、国庫収入の3分の1を占めている
ノルウェーはヨーロッパで残り少ない、徴兵制を敷く国
EUにも加盟していない
すべては国家と国民の意思である


石油のほとんどは輸出に回し、将来の生産計画も緻密に立て
しかも、自国の電力はほぼ100%を水力で賄っている

一人当たりの電力使用量もずば抜けて世界一
あのように寒い国なのに、どこもかしこも床暖房で
家のなかでは皆が真冬でもTシャツを着ているのを見ればその理由はわかる



4章 スペインの闘牛と日本のイルカ漁


南フランスのアルルで見た闘牛の話



5章 ケルンの地下鉄工事と池袋の道路工事


日本では渋滞を誘発しないよう、人は夜中に働いている
ドイツでは、工事は朝の七時頃から始め、遅くとも夜の七時には終わる
日曜日は休み

そのため、アウトバーンの工事などでは、絶望的な渋滞が終日
そして場合によっては何か月も続くが、そんなことはお構いなしだ


ドイツ国は、首都ベルリンに新空港を造ろうとしている
ベルリン市、ブランデンブルク州、そして国が共同で進めてきたプロジェクト

三者のホールディングが結成されたのが、1998年
当初の開港予定は、確か2007年
開港は何度も延期され、最後の開港予定日は2012年の6月3日だった


それが予定日まで四週間も無い5月8日になって、突然、延期と発表された


開港延期は初めてではないとはいえ、このときはとりわけひどかった
最高の茶番は、延期発表の直前まで「すべて順調」といわんばかりの
ニュースが華々しく流れていたことだ


しかし、後でわかったところによると、この時点で管轄機関による
竣工検査の予定さえ立っていなかったというからビックリ


当局の発表に信憑性が欠けるという点では、ドイツも北朝鮮に負けない
いずれにしても、プロジェクトの中枢のところに、超絶無責任者がいた
としか思えない


いずれにしても、このときの開港は全国民が信じていたので
被害が大きかった


たとえばエア・ベルリンは、ドイツではルフトハンザに次ぐ大きな
航空会社で、ヨーロッパを中心に多くの航路を持っているが
発着の3分の1がベルリンの空港だ


もちろん、6月3日以降のフライトは、すべてベルリン新空港を使用
ということで予約を取り、しかも運航本数を増やしていた


新しいベルリン空港は、ヴィリー・ブラント空港と名付けられ
かっての西ドイツ首相と西ベルリン市長であったヴィリー・ブラント
の名声を誇るように、すでに大々的なキャンペーンが打たれていた


ドイツ鉄道も新空港に客を運ぶための新ダイヤを用意していた


一番気の毒なのは、新空港にテナントで入る予定の、さまざまな企業や
店舗だった
開店四週間前といえば、最後の追い込みに入る時期で
レストランにせよ、お土産屋にせよ、店舗はほぼ完成し
従業員を揃え、トレーニングにかかっていたはずだ


その他、運送会社も、清掃会社も、みなスタンドバイの状態だったと思う
それが突然、ご破算になった


開港ができない主な原因は、防火設備の不備だそうだ
火災が起きたときの煙の排出が完全ではないという

担当の設計事務所が倒産したとか、新しい安全基準がどうのこうのとか
4000に及ぶドアの非常時の自動操作がうまくプログラミングできない
とか、いろいろ理由は述べられているが、はっきりいって納得できない


世界で初めて空港を造っているというのならまだしも。他のも大空港は
たくさんあり、防火設備は完備している


彼(私の夫)が言うには、「だから大手のゼネコンに一括して任せれば
よかったのだ」
実は最初の頃、そういう話があったらしい

ところが、オファーの値段が高すぎるということもあり、
市と州と国のホールディングは、自分たちの指揮で施工を進めることに
決めた

そして、それ以来、失敗に次ぐ失敗なのである


これほど大きなプロジェクトでは、下請け会社の数だけでも膨大になる
それらをタイムプランに合わせて組み合わせ、動かしていくのは
並大抵のことではない


その点、大手のゼネコンはこういったことばかりやっているのだから
ノウハウは持っている


確かにゼネコンに任せていれば、結局は安く上がり、今頃は
ベルリン新空港に飛行機が発着していた可能性は高い

そのうえ、たとえ遅延が生じたとしても、少なくとも責任の在り処を
特定することはできただろう


さて、再々々度の開港延期のあと、プロジェクトマネージャーの首は
飛んだが、そのほかは、ホールディングの面々も、傘下グループの
社長も、そして何の監査もしていなかった監査役も、全員そのまま・・・


新しいプロジェクトマネージャーには、かってフランクフルト空港を
造った人が、急遽、引っ張ってこられた


そして彼の指揮のもと、進捗具合の点検とプランの練り直しで
3か月が経過した結果、新しい開港予定日が発表された


2013年10月27日


バカバカしいことに、そのときはまた、皆それを信じたが
すぐに2014年になった


そして、もう、誰もベルリン新空港の話はしない


国民は、すでに数回、ひどく驚き、ひどく怒った
しかし、もう何があっても驚かないし、怒らない
国民が驚きもせず、怒りもしないことをニュースにする理由はない
だから、ニュースにならない 簡単な話だ


ただ、この話がニュースになろうが、なるまいが、遅延による
経済的な損害は莫大なものだ


もともとの建設費は17億ユーロだったが、それは前世紀の話で
すでに2012年までの出費が31億ユーロに膨れ上がっている


その時点で、それがさらに12億ユーロ増えて、43億ユーロになる
と試算されたが、それからまた二年が過ぎようとしている


もう何が何だかわからない


現在使われているベルリンの空港は、かっての西ベルリンのテーゲルと
東ベルリンのシェーネフェルトだ


しかし、テーゲル空港はパンク寸前のうえ、拡張の継ぎはぎで混沌と
しているし、シェーネフェルトは市の中心から遠い


しかも、どちらももうすぐお役御免だということで、長い間
何の投資もされずに来た


洒落たカフェやレストランさえないし、首都の空港としては
甚だしくみすぼらしい


それにしても計画が決まってからすでに16年・・・
16年といえば、ピラミッドだって、そろそろ完成するころかもしれない



さて、次はケルンの地下鉄の話


2013年、「完成予定2613年」という茶化し記事が
真面目な新聞「ディ・ツァイト」に載った


ケルン市民は、ケルンの地下鉄工事は、ベルリン空港の失策とは
比べものにならないと自信を持っているようだが、勝敗の行方は
私にはわからない


古い歴史を誇る重要な都市で地下鉄工事をするのは、とても難しい


あっちを掘っても、こっちを掘っても、遺跡にぶつかる


それでもグングン掘り進んでいたら、突然、聖バプティスト教会が
傾いた


1080年に建てられたという由緒ある教会が、「ケルンの斜塔」に
なってしまったのだ


もちろん、地下鉄工事のせいである


その後は、もっと酷いことが起こった


2009年のある日突然、地面が広範囲にわたって陥没し
そこに建っていた四階建ての古文書館が崩れ落ちたのだ


それだけではない その周りの建物群もドミノ倒しになり
住人2人が死亡した


ケルンの古文書館は、ドイツの中でも重要なものの一つだったから
衝撃は大きかった


それ以後、ドロドロになった古文書は一個一個掘り出され
必死の修復が図られた


しかしながら、すべてを助けられなかったことはいうまでもない
損害は取り返しがつかない


ただ、五年が経とうとしているが、責任者探しは迷宮入りになりそうな
気配だ


事故の原因を作った疑いがあるとされる人間は89人も挙げられているが
罪のなすり合いで、まだ一人として、事実関係を証明できていない


関係者のなかから1人、自殺者が出ただけだ
この1人に、すべての罪が被せられるのだろうか


しかし、凶事はこれだけではなかった


2012年12月、ようやく地下鉄の一部が開通したのだが
(でも1駅だけ!) なんとそれ以来、10分ごとに、
大聖堂が微かに振動するらしい


その路線は、ケルンの大聖堂の宝物貯蔵室から数メートルのところを
通っており、地下鉄が原因であることは疑う余地がない
静かにお祈りをしていると、かすかにお尻が震える程度だというが
それでも放っては置けない


ケルンの大聖堂は、ケルンのランドマークであるだけでなく
世界遺産でもある


10分ごとに揺すられて、古文書館のように崩壊したら
たいへんなことになる


何の因果でこんな工事を始めてしまったのかと、さすがのケルン市民も
恨めしくなったのではないか


思えば、地下鉄などなくても、市民は不自由なく暮らしていた
敢えていうなら、ひどい渋滞があっただけだ


ちなみに、ケルンはデュッセルドルフと並んで、カーニバルの中心地
人々は陽気で、お祭り好きでつとに有名だ


お祭り騒ぎが高じたのか、あるいは、単に泥棒がいたのか、地下鉄の
工事現場からは、建築材料もごっそり紛失した


たとえば、コンクリートに使う鉄骨など


それだけではない
工事の始まるとき、念のために近くのコンサートホールの入り口のところの
ひさしのように突き出た屋根を取り外したが、それももう見つからない

なぜ、こんな大きなものが次々となくなるのだろう
それも、町の真ん中での話だ


最初の話に戻るが、なぜ完成予定2613年かというと

ケルンの大聖堂は、着工が1284年で、完成したのが1880年
ゆう600年以上かかっているからだそうだ


当時、人々は、大聖堂が完成したなら世界は破滅するといっていたらしい
もちろん、体の良い言い訳だ


そうしてケルンの人々が何もしないでいたら、19世紀になり
勢いを付けたプロイセンがやってきて、大聖堂を完成させてしまった


しかし、世界は破滅しなかった


現在、ケルンの地下鉄は2019年に完成ということになっている


ケルンの大聖堂に比べたら、10年やそこらの遅延は、なんてことはない



6章 日本の百倍ひどいヨーロッパ食品偽装


2013年 馬肉スキャンダル


EUの消費者が肉の出所を知ると


安く偽装のドイツ、高級食の日本



7章 日本的になったドイツの宗教事情



ドイツでは、信者とは洗礼を受けていて、そのうえ十代のときに
自分の意思で堅信という儀式を経て教会の正会員になり
収入を得るようになってからは教会税を払っている人だ


とはいえ、キリスト教とは一種の契約なので、
信者を途中で辞めたくなれば、いつでも辞められる


その旨を教会に申告すれば、引き留められる可能性はあるが、
必ず辞められる


辞めた後の状態を表現するときは、
「私は教会には属していない」という


キリスト教徒であるかどうかは心の問題なので、
教会に属さないからといって
必ずしもキリスト教徒でなくなったわけではないからだ


教会に属さないということは、教会とは縁を切ったということで
まずは教会税を払わなくて良くなる


近年は、宗教に社会的な意味が無くなってしまったし
教会税を払うのもバカバカしいと、教会に属さない人がとても多い


すると、当然のことながら、教会で結婚式は挙げてもらえなくなる
私の夫も脱会者なので、私たちは役所での結婚式
(ドイツでは紙を出すだけでは済まない)とパーティはしたが
教会では結婚式を挙げていない


ドイツでは昨今、信仰心がひどく弱まり、私の周りでは日曜にミサに
行く人など誰もいないが、それでも若い女性のなかには
結婚式だけは教会でロマンティックに挙げたいので
そのために教会とは縁を切らない人がかなりいる

そういう意味では、ドイツ人も、少しずつ日本人的になってきた


ドイツも、カトリックとプロテスタントがほぼ半分ずついるが
今や、誰が何を信じているかということは、普段の生活では話題にさえ
ならない

結婚式が教会で挙げられるか否かの違いぐらいだ


そういう意味では日本の図ととても似ているが、日本と違うのは
ドイツではどう見ても政教分離とは思えない社会構造が、未だに
しかと存在することである


信じられない話だが、ドイツの各州は、教会に多額の賠償金を払っている


何に対する賠償金かを聞けば、もっとビックリするだろう


1803年から支払われている、領地を奪われた教会に対しての賠償金だ


当時、300以上の領邦が割拠するモザイク国家であったドイツに
ナポレオンが侵攻した


そして、1801年、ライン川の左岸がナポレオンの手に落ちた


そのために領地を失った世俗領主たちは頭を絞った結果
教会の所有であった領地を住民もろとも没収し、代替の領地として
自分たちで山分けすることを決めた


ドイツには、世俗の領主と教会の領主がいたのである


教会領地の横取りをした世俗領主は、その後は教会に賠償金を支払い
辻褄を合わせることにした


こうして1803年より始まったその賠償金が、21世紀の現在でも
生きている


今ではその賠償金は、現行の州が、当時の領邦に成り代わって支払っている


その額が、2013年、カトリックとプロテスタントの分を合わせて
4億1900万ユーロ(約580億円)


くどいようだが、出所は州税である

過去の210年間分を足せば、天文学的な額になるはずだが
このような出費を止められないことが、私には政教癒着としか思えない


ただ、教会の決定的な財源は、実はこの賠償金ではなく、前述の
教会の信者の払っている教会税だ


教会税の起源も、遡ればやはり1803年に行きつくのだが
1919年、ワイマール共和国の政府は、教会が税を徴収する権利を
ワイマール憲法に正式に盛り込んだ
それがなぜか、今でも生きている


したがってドイツでは、教会に属している人は、それぞれが所得税の
ほぼ9%の教会税を支払わなければならない


徴税は、各州の税務局に委託されているというから、教会にしてみれば
取りこぼしがなくて有り難い


2011年、教会税の収入は、プロテスタントが43億8000万ユーロ
カトリックが49億1800万ユーロだった


このお金は何に使われているかというと、教会や修道院の修復にも、
また、教会経営の病院、福祉施設、学校などの経営費にも使われていない
ほとんどが聖職者の給料や年金になるのだそうだ


そういえば、昔からドイツの牧師は立派な官舎に住み、休暇もふんだんに
取り、働きすぎている風はまるでなく、公務員のようだと思っていたが
お給料が税金で払われているなら、まさに公務員だ


いや、税金で食べていても、公務員ではないため、
教会や付属施設の運営では、かなりのフリーハンドが許されているから
公務員よりも良いかもしれない


政教が分離していないと思うことは、他にもある
学校の宗教の授業だ


ドイツでは、宗教は必修のカリキュラムに入っていて、小学校から
ギムナジウムまで延々と続く

昨今の傾向としては、イスラム教の台頭があるため、州によっては
カトリックやプロテスタントと並んで、イスラムの授業を用意している
ところもある


将来、ドイツで宗教にまつわる争いが起こってくるとするならば
それはカトリックとプロテスタントではなく、イスラム教徒との間に
起こるだろう


というのは、この宗教はすでにドイツで2番目に多い信徒を抱えている
だけでなく、政治的な力を伸ばすことに並々ならぬ意欲を見せている
からだ


イスラム教徒を抱えて苦労している国は、他のも多い


ロシアも中国も、東南アジアも、そしてアフリカも、皆そうだ
日本はこれがないので、宗教問題には疎い


思えば、日本にはキリスト教が浸透しなかった
これは、とても興味深いことだ


日本人はおそらく、教理も説かれず、勧誘もされない宗教が好きなのだ
それが仏教と神道だ


そして、ときどきお寺や神社に行っては手を合わせ、おみくじを引いては
すぐに忘れる・・・ 考えてみれば、これほど平和な宗教観はない


ときどき入り込んでくる他の宗教とは、喧嘩もしないが、
信じることもしない


日本人の宗教観は、緩いようで、しかし、手堅いのである



8章 歴史の忘却の仕方  ヨーロッパとアジア


日本人の過去を振り返らない性格


略奪される準備がいらなかった国


七股かけるヨーロッパの外交


中韓の思考はドイツと正反対


独仏の過去からの学び方


子供に過去の恨みを伝えない独仏


日独を同列にできない2つの違い


「日本はドイツを見習え」は不当



9章 奴隷制度がヨーロッパに残した「遺産」


近東、インド、東南アジア、中国、日本といった古い文化の中心地
に比べて、中部及び北部ヨーロッパはかつて荒涼とした貧しい土地
だった(略)


その事実はいくら壮大な大聖堂を建設しても覆い隠すことはできなかった


いかに中部・北部ヨーロッパが貧しかったかは、オリエントから
ヨーロッパへ流入してきた商品とヨーロッパが近東に届けることが
できた商品とを比較してみるとよくわかる


オリエントからは、樟脳、サフラン、大黄、タンニンなどの薬品
鉱物性の油や揮発油などが輸入された
最も渇望されたのは、いうまでもなく砂糖や胡椒、グローブ、
シナモン、ナツメグといった各種の香辛料だった

胡椒は一時期貨幣の役目をしていたこともあった


繊維製品では生糸と麻で、高級絹織物やビロード、金糸、銀糸も
持ち込まれた

アジアを原産地とする宝石、珊瑚、真珠
高価な陶磁器も運ばれてきた


これに対してヨーロッパが納入できた商品リストはささやかで
簡単だった


羊毛、皮革、毛皮そして蜜蠟である
この他にはほとんど何も、地中海の向こう側の人たちを魅了できる
ものをヨーロッパは提供することができなかった


オリエントとのヨーロッパの交易は慢性的な赤字だった
ヨーロッパ人は、ヨーロッパ外の地域から購入したものは
全て、金・銀で支払わなければならなかった


何トンもの金・銀がアラブ商人の懐に消えていった


しかしヨーロッパ上流階級の人々のオリエント商品への渇望は
貪欲で飽くことを知らなかった


そこで、何世紀にもわたってアジアへの輸出のために特別な商品が
用意されたのだった
その商品とは、ヨーロッパ人の奴隷である


ただ、松原氏の著書によれば、この生きた商品について、ヨーロッパの
歴史書にはほとんど記載がないらしい


たとえ触れられていても、野蛮なサラセン人の海賊が悪人で、
可哀相なキリスト教徒はさらわれたのだ、いう印象を受けるように
書かれているという


ドイツ語では歴史と作り話は同じ


1つのできごとを巡る歴史が1つではなく、たくさん存在するという
状況は現在でも変わっていない
今、通用している歴史が真実であるという証拠は、まったくないのである


話が逸れたが、奴隷のことだ


奴隷といえば、アフリカ大陸からアメリカに連れて行かれた奴隷ばかりが
有名だが、西洋がアラブに輸出した白人奴隷は、現在通用している
世界史から跡形もなく削除されている


しかし真実は、奴隷はヨーロッパのオリエントへの主要な輸出商品の
1つだった

なぜならば、ヨーロッパは奴隷以外に商品価値を持ったものは
何も提供できなかったからである


と、松原氏は確信を持っていう


ウヤムヤにできた理由は、おそらく、ヨーロッパ人奴隷の特徴が
アラブ人やペルシャ人と混血してしまうと薄まって、三代の経てば
ほとんどわからなくなってしまったからではないか


その点、アフリカ人の肌の色は、混血しても長いあいだ克明に残るし
あまりにも違いがはっきりしていたため、白人のほうが躊躇し、
混血の勢いも鈍かったのだと思う


さて、引き続き引用


「『奴隷(スレイブ)』は、語源的に『スラブ人』と同じである
大掛かりな奴隷狩りが行なわれた

ポーランドからボルガ河畔に沿ってウラル山脈にいたるロシアの
平原で、ヨーロッパの奴隷狩り専門家たちによって、スラブ人の男女が
捕らえられたのである」


スラブ人とは、スラブ系の言葉を話している人ということで、
もともと言語学的な分類であったが、それによれば、

ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、それから
スロバキア人、チェコ人、ポーランド人、クロアチア人
セルビア人、ブルガリア人なども、みなスラブ系となる


ナチが政権を握るずっと前より、スラブは野蛮で遅れている民族と
見做されていた


奴隷というのは、人間扱いされていない人間のことだ
人間を人間扱いせず、生殺与奪の権を奪い、商品のように売買することは
常識で考えれば犯罪である


それなら筋は通るし、一般人は、かような悪事には手を染めないで
おこうとするだろう


ところが、それが合法となると、話が違ってくる


常識で考えれば犯罪であることを、皆が上手に詭弁を弄し
「これは犯罪ではない」と定義づけ、どうするのだか私には
わからないが、とにかく良心なども痛まないようにする


奴隷に焼き印が押してあっても、奴隷は家畜と同じなので
それも普通のことだと思うようになる


そして、奴隷制度に皆で積極的に加担する


なぜか? 加担しないと損になるからである


16世紀から18世紀まで反映した奴隷貿易というのは
三角貿易であった


まずヨーロッパから、鉄砲やガラス玉やラム酒、あるいは
綿製品などをアフリカに運んで奴隷と交換する


鉄砲はわかるが、ガラス玉というのがひどい


その奴隷をアメリカ大陸に連れて行って売り、今度はそこで
砂糖、コーヒー、綿花などの貴重品を積んで、ヨーロッパに
持ち帰った


取引した奴隷は、イギリスだけでも300万人以上といわれている


ビクトリア朝時代にイギリスの富裕層のほぼ20%は、奴隷貿易から
何かしらの利器を得ていたという


とにかく、ひどく利益の多い交易だった
その副産物として、18世紀のイギリスの金持ちの家では、黒人の
奴隷を置くのが流行にもなった


ようやくイギリス政府が奴隷制度を廃止したのは1833年のことで
このとき、2000万ポンドもの賠償金が支払われた


誰に支払われたかというと、奴隷制廃止のせいで不利益を被った
奴隷のオーナーたちに、である・・・


書いているだけでも、だんだん腹が立ってくるが、しかし

すべては、奴隷を商品として売買することが犯罪でなかったからこそ
成り立った話である


その点、私たち日本人は、「人間を家畜扱いすることが犯罪ではない」
と定められている社会を想像しにくい


近所の人を見て、「ああ、あの人は昔、奴隷だった人だなあ」と思う
機会もなかった



10章 歌舞伎と瀕死のオペラを比べて


ドイツにおけるクラシックは衰退している

その原因のうちで一番大きなものは、財政難である


芸術とは、いつの時代も採算が取れない
だから昔は、王侯貴族が芸術家のスポンサーになるというのが
常道であったが、現在は、国や州や地方自治体がそれに成り代わっている


劇場の収支は絶対に黒字にはなりえない
つまり、現在、劇場を維持していこうと思えば、税金をふんだんに
注ぎ込む以外に方法はない


1980年代は、もちろん東西ドイツ統一の前であり、しかも
経済成長の最期の余韻が残っていた時代だ


劇場は毎夜のごとく、豪奢に着飾った人々で賑わっていた


ところが、1990年、東西ドイツが統一された途端、ドイツは
急激に貧乏になってしまった


国も州も地方自治体も台所は火の車で、どこへ行っても経費節減
こそが最重要事項


当然のことながら、芸術といった、当面の暮らしには必要なく
しかも、景気促進に直接の影響のないものは、切り詰め、切り捨て
の恰好の対象となった


知らない土地に行って、その町の豊かさを知るには、劇場のプログラム
を見るか、動物園に行くに限る


どちらも、なくなっても人間の命には別状なく、あればあったで
やたらとお金を食う施設であるから、このような無用の長物に
お金が掛けられているなら、まだその自治体は余裕があるということになる


一応、シュトゥットガルトは、そういう「まだ余裕のある町」で
劇場も動物園も立派に機能しているが、それでも、オペラ座が
ダブル・キャスティングを敷かなくなって、すでに久しい


オペラ座の若者は音大生ばかり



11章 同性愛者が英雄になるヨーロッパ


牧師同士のレズビアン


男の同性愛者は、ドイツでは「シュヴール」という

ホモセクシュアルというのは、元来、同性愛の総称で男女共通

ところが日本では、女性の同性愛者はレズと呼ぶが、男性の同性愛者
を表す言葉はホモで、シュヴールに当たる言葉が見つからない



12章 「移民天国」か「難民地獄」か


ツーリストがいる浜に着く溺死体


なるべく壁を高くする=難民対策


EUは排他主義と利己主義の集団


東欧の医者不足はドイツのせい?


ロマの物乞いの背後に犯罪組織が


産業界にとって貧困移民の流入は


外国人に対する暗黙の取り決め



13章 EUはローマ帝国になれるのか


ゴッホが感じたアルプスの北と南


ドイツ人がローマを名乗った理由


EUの起源はローマ帝国への憧れ