星の王子さま 三田誠広訳 | 猿の残日録

猿の残日録

いろんなことがあるが、人生短いから前だけを見たほうがいいですよ。江原啓之 今宵の格言

 

 

 

 

 

恋愛論 とも 人生論 とも読めます
子供向けの本ではないと思います

他の人の訳も2冊借りてきましたが
まだ読んでないので、この後また読みます
訳によってそれほど変わるのかは
比較してからでないとわかりません

この本を読んでわかったことは
<なつく>ということは<きずな>で
結ばれること
<知る>ということは<きずな>で
しっかりと結ばれること
これが自分には無かった

親としては同じように育てたつもりでも
ちがう理由はそこかなと思いました

あとがき より

 作者のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
は、1900年6月、フランスに生まれた
 貴族の出身で、子供の頃は、古いお城に
住んでいたという

 箱根の仙石原にある「星の王子さまミュージアム」
は、建物全体が、そのお城を再現したものに
なっている

 幼い頃は学校にも行かず、妹や弟とだけ遊んでいた
ので、人見知りする内気な子供になってしまった
本を読むのと、飛行機を見るのが好きだった
 飛行機は発明されたばかりで、めったに見られるもの
ではなかったのだが、幸運なことに、近くに飛行場が
あったのだ

 おとなになると、軍隊に入って、パイロットの資格を
とった 郵便物を飛行機で運ぶ民間の航空会社に
入り、パイロットとして、フランスからアフリカをへて
南米まで、大空を飛びまわっていた

 その間に、「南方郵便機」「夜間飛行」など、パイロット
を主人公にした小説を書いた

 コンスエロという奥さんがいたのだけれど、性格が
あわず、長く別居していた
 この物語に出てくるバラの花みたいに、わがままな
女性だったらしい
 奥さんはフランスのパリにいて、毎日のように宴会を
開いていた
 人見知りするサン=テグジュペリは、宴会は好きでは
なかったようだ 有名な作家になったサン=テグジュペリは
自家用飛行機を操縦して、世界中を飛び回った
 ひとりきりでいることが、好きだったんだね

 やがて戦争が始まった
 日本も参戦した第二次世界大戦だ
 フランスはドイツに侵略された

 サン=テグジュペリは、援軍を求めるために
アメリカに向かった 政府に手紙を書いたり
マスコミに訴えたりもしたのだが、アメリカはなかなか
動かなかった

 実際にアメリカが参戦したのは、ドイツの味方をしていた
日本が、ハワイに奇襲攻撃をかけたあとだった

 パリも危なくなったので、奥さんもアメリカに逃げてきた
 久しぶりの再会だったが、夫婦のすれちがいは続いた
 奥さんはアメリカでも、毎日、宴会を開いていた

 サン=テグジュペリは部屋に閉じこもって、童話を
書き始めた この「星の王子さま」の物語だ
 書き終えると、サン=テグジュペリは軍隊に入った
 もう40歳をすぎていたのだけれども、有名な作家が
志願して軍隊に入ったというので、偵察機の操縦を
任された

 1944年7月、偵察飛行に出発したサン=テグジュペリは
地中海で消息不明になった 44歳だった

 この「星の王子さま」という作品には、作者の願いが
こめられている 例えば、一番念入りに描かれたバオバブ
の絵は、戦争の恐ろしさを、バオバブに例えて表現したかった
のだろう でも、バオバブの話は中心のテーマではない

 この作品で作者が読者に伝えたかったのは、人を好きに
なるということの、すばらしさと、それから、責任
(この本では<つぐない>と訳した)ということだろうと思う

 現実の生活では、サン=テグジュペリは、幸せな結婚生活
をしたわけではなかった
 それだけに、愛というものの大切さを、この作品で読者に
伝えたかったのだろう

 サン=テグジュペリの「星の王子さま」は、夢のような
作品だ でも、おとぎ話ではない
 ぼくたちが人生を生きていくうえで指針としなければならない
大切なことが書いてある
 ただし、その大切なことは、キツネやヘビの口から、謎めいた
言葉として語られる
 それがこの作品の魅力でもあるので、よくわからないところが
あっても、そのまま受けとめておけばいいと思う

 キツネが言うように、<かんじんなことは目では見えない>
のだから、むりに見ようとする必要はないのだ

 ~~~ 後略 ~~~