浜までは 海女も簑着る 時雨かな
※ 読み方は、海女(あま) 蓑(みの) 時雨(しぐれ) です
海に潜る海女さんは、どうせ体が濡れるのはわかっていても、浜にたどりつくまでは蓑を身につけて雨に濡れないようにいたわっていく
という意味らしい
菓子パンやファーストフードを
毎朝食べていたら
糖尿病になりますよ
気をつけてね
(会社のお昼、毎日菓子パンのおばさん
ダイエットというが、心配だ)
滝 瓢水(たきひょうすい) という作者を見ていたら、
見つけたサイトは、以下
なにわ人物伝 -光彩を放つ- 滝 瓢水 奇行重ねた異色の俳人
これはその抜粋 ~~~~~~~~
瓢水は風狂(風雅の道に徹すること)といえば聞こえはいいが、奇行を重ねたあげく家産を破り、大坂で客死した異色の俳人である。
彼は貞享元(一六八四)年、別府(べふ)村(現・加古川市別府)に生まれた。父は運輸業「叶屋」の主人の三代滝新右衛門政清、母はおさん。その一粒種で幼名新之丞、のちに四代新右衛門有恒と称し、俳号に瓢水のほか富春斎や自得庵などがある。
瓢水は何度も大坂を訪れる。松木淡淡(一六七四-一七六一年)と親しかったからだ。淡淡は芭蕉・其角の流派を継ぐ蕉風派の俳人と自称し、「半時庵」という俳諧グループの宗匠だが、富と権力におもねり、高額の指導料をとって句商人(あきんど)と呼ばれたぜいたくな男でもある。その淡淡と破滅型の瓢水がどうして気が合ったのかは分からないが、互いに相手の句を褒めちぎり、親交を結んでいる。あるとき淡淡の門人が妓楼に通いだし、気の進まぬ太夫を大金積んで無理に身請けしようとした。このとき瓢水が彼をたしなめた句が、人口に膾炙(かいしゃ)した「手にとるなやはり野に置けれんげ草」である。
こんな人生哲学じみた句を詠むくせに、経済観念のなさは変わらぬ。ひどい暮らしぶりをみかねた画家如流が、十数本の白扇に俳画を描き、これを売ったら金になると与えた。数カ月後みすぼらしい着物姿の瓢水を見掛け、扇は売れなかったかねと尋ねると、「へえ、ふろしきに包んで売りにいく途中、橋から落ちて川にはまり、みんな破れました」と、ぬけぬけ答えたという。
宝暦十二(一七六二)年、五月大坂で没。享年七十八。淡淡が他界した翌年にあたる。