霊が存在する
そんなことを信じている人はなんやかんや多いのではないでしょうか。
かくいう僕も数年前までは、科学で解明できていないことなんてたくさんあるから、そういった存在がいても不思議ではないんじゃないか、と思っていました。
特にここ、沖縄には昔からユタ、という民間のシャーマンが存在し、人々の問題を不思議な力で解決をしてきました(不思議な、といいつつそのカラクリに迫っていこう、というのがこのブログの趣旨でもあるのですが、、、)。
そういった文化があるため、今でも沖縄の人々は死後の世界や霊の存在をなんとなく信じている方が多いような気がします。
結論から言ってしまえば、霊も守護神も存在しないけれど存在します。
「どっちなんじゃい!」と突っ込んだみなさんのために、もう少し付け加えてあげるのであれば、
霊も守護神も物理空間には存在しないけれど、情報空間には存在します。
くまのプーさんは、我々の実世界には存在しないけれど、絵本の中、我々のイマジネーションの中には確実に存在しています。
霊もくまのプーさんも同じということです。
現実世界(物理空間)には存在しないけれど、我々の作り上げた世界(情報空間)には存在しています。
そして、その情報空間にあるものを視覚への刺激として、人の姿として捉えてしまったものが霊と呼ばれる存在です。
脳機能の疾患によってこのことが起こることがあります。
例えば、脳の側頭葉に電気パルスを送ると、いるはずもない他者の存在を感じてしまう、という実験が報告されています。
被験者となった女性は霊も神も信じていない女性でしたが、側頭葉に刺激を与えられたときに「影」を見たそうです。
これは、自分が感じていることと見ているものの整合性を取ろうという脳の作用によるものです。
脳はよく分からないものを嫌います。
なので矛盾する現実に出くわしたら勝手にいろんなストーリーを作り上げてしまうのです。
上記の例で言うと、側頭葉に刺激を与える⇒他者の存在を感じる⇒誰かいるけど何も見えない(矛盾)⇒何かがいるという映像を作り上げる
ざっくりこんな風に脳が動いていることが予想されます。
つまり、脳の中でこうだ!と思った映像を目で見ているのです。
視野でとらえていることをそのまま私たちが見ているわけではありません。
むしろ私たちの視覚はほとんど記憶によって補われていることが分かっています。
つまり私たちは見ているようで見ていないのです。
見ているようで、それは脳が記憶を頼りに作り上げた映像なのです。
なので、情報空間で、つまりは脳で、「ここには人みたいなものが存在する」と強く思い込めば、そこに霊の映像を作り出してしまうわけです。
特に暗いところだと、人型の何かを見つけるのはたやすく、割と簡単に(?)霊がいるという映像を作ることが出来てしまいます。
真昼のビーチでの心霊体験がないのはそのためです。
つまり、霊は情報空間の中には(我々の想像の中には)存在し、一部の人にはそれが実際に視野の中にいるように見える、ということです。
情報空間の存在が物理空間の中にいるように錯覚している、ということです。
だから場合によってはくまのプーさんが見える人もいるかもしれません。
ただ肝心なことは、霊は単なる想像上の産物に過ぎないと言いたいのではありません。
霊であれなんであれ、情報空間に存在しているものを書き換えれば、物理空間にも影響が出るので、それによってヒーリングは可能だということです。
沖縄の在野の活躍しているヒーラーは(多くはユタと呼ばれます)、情報空間上の霊や魂を書き換えることで、クライアントの症状を物理的に改善させます。
例えば、何か体調を崩しやすくなってしまった人がユタに相談に行った際に、何か良くない霊がついているとユタが判断をしたとします(守護霊に聞くパターンもあります)。
そして実際に除霊をすると、クライアントの症状が実際に改善されることがあるわけです。
これは、こういった施術を通して、クライアントの情報空間を書き換えているのです。
霊、という素材を使って。
訓練をしたユタは、クライアントの症状を『霊』という現象として捉えるのです。
そして、情報的な霊をなくすことで物理的な症状を改善します。
これが現代のカウンセラーだと話は変わってきます。
現在抱えているストレスやら幼少期のトラウマやらを探って、それを解消する手助けをします。
結果、心が健康になり、身体の不調が治ります。
ただやっていることは大きくは変わりません。
情報を書き換えて、クライアントの症状を改善させる、という点においては同一だと考えます。
霊も守護神も存在しないけれど、存在します。
そしてそれこそが、ヒーリングのカラクリです。
情報空間に存在しているものをいじれば、物理空間にフィードバックがあるのです。
それを伝統的に行ってきたのが、沖縄の民間のシャーマン、ユタだったのです。
だから、ユタさんがやっていることを迷信だと切り捨てるのは間違いなわけです。
また、歴史的には度重なる弾圧を受けながらも、沖縄の人々に広く支持されながら、現代においても活躍しているのには理由があるのです。