心で見なくちゃ、
ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、
目に見えないんだよ。
サン=テグジュペリ
見えないものは信じない?
人は目に見えるものだけを信じようとする傾向があります。でも目に見えないものでも確かに存在するものは多くあります。
風、電気、磁力、熱、電波、気持ち、愛・・・・
情報が溢れる現代と違い、古の人は物事をどう見ていたのでしょうか?
世界的な雑誌「Fobes」によれば
エジンバラ大学とケント大学の研究チームは、トルコ、スペイン、フランス、そしてドイツの洞窟に描かれた動物の壁画を調査したそうです。それぞれの壁画は年代に数十万年の差があるが、高度な天文学に基づいた同じ方法で時間を表していることが判明したそうです。
「洞窟内の壁画は、数万年前の氷河期に生きた人類が夜空の星について、高度な知識を持っていたことを示している。現代の人類と知的な差はない。今回の発見は、人類が複数回の彗星の衝突を目撃してきたという仮説を裏付けるもので、先史時代の人類に対する見方が革新的に変わるだろう」とエジンバラ大学のマーティン・スウェットマン(Martin Sweatman)は声明で述べたそうです。
この研究では、壁画に使われている塗料の年代から描かれた時期を割り出し、当時の星の位置と比較した。その結果、動物の絵は星座や、彗星の衝突などの重要な出来事を示している可能性があることが分かったそうです。驚きですね!
他にも洞窟の壁画と天文学の関連性は、以前から歴史学者によって指摘されてきたようで、これまでの研究で、トルコのギョベックリ・テペ遺跡の石柱に掘られた絵が、氷河期を引き起こした紀元前1万1000年ごろの彗星の衝突を表している可能性が明らかになったそうです。
古の人は目に見える事、見えない事もふくめて現代に伝えようとしたのかもしれませんね!
風
目には見えないけれど誰しもがその存在を意識する事が出来る代表的なものが「風」かもしれません。
髪を軽くゆらすおだやかな風、立っていられないほどの風、その姿は見えませんが確実に存在を感じます。
ちなみに、日本語は「夏の風」を表すだけでも多種多様な種類があります。
少し例を挙げると
薫風 -くんぷう-
初夏、新緑の間を吹いてくる快い風。
青嵐 -あおあらし―
青々と視した草木や、野原の上を吹き渡っていく風です。
青田風 -あおたかぜ―
青田とは、まだ稲の穂が出るに至らない時分の頃で、その青々とした稲田の上を吹き渡る風が青田風です。
油照り -あぶらでり―
夏の、空が薄雲って、風のない、じりじりと蒸し暑いことをいいます。
夕凪 -ゆうなぎ―
朝夕、海陸風が入れ替わるために風が凪ぐ現象で、それぞれ朝凪、夕凪といいます。
土用間 ―どようあい―
夏の土用中に吹く、涼しい北風。
地あゆ ―じあゆ―
内陸の方へ寄った北東の風。
まあゆ ―まあゆ―
東よりに吹く北風。
白南風 ―しらはえ、しろはえ―
梅雨が明ける6月末ごろから吹く南風。
黒南風 ―くろはえ―
梅雨の初めに吹く南風。
青田風 ―あおたかぜ―
青々とした稲田の上を吹き渡る風。
朝凪 ―あさなぎ―
朝方、陸風から海風へ交代するときの無風状態。
etc・・・
他の民族でも、風にも多種多様な表現や単語があるという事を聞いた事があります。
そのように名前をつけることで相手により正確に伝わるなどメリットがあったのかもしれませんね。
ちなみに沖縄の方言でも風には種類があります。
カーチベー(夏至南風)
ミーニシ(新北風)
タントゥイベー(種子取南風)
ヤナカジ(悪風)
スストゥイニス(白鳥北風)
ニングヮツィカジマーイ(2月風廻り)
プスプローマヌパイカジ(星昼間の南風)
etc・・・
目には見えなくても感じ方が明らかに違うのです。
THE BO0Mは残念ながら解散してしまいましたが沖縄にゆかりの深いあるミュージシャンです。
そのTHE BOOMの有名な曲で「風になりたい」という曲があります。
風になりたい
作詞 宮沢和史
作曲 宮沢和史
唄 THE BOOM
大きな帆を立てて あなたの手を引いて
荒れ狂う波にもまれ 今すぐ 風になりたい
天国じゃなくても 楽園じゃなくても
あなたに会えた幸せ 感じて 風になりたい
何ひとついいこと なかったこの町に
沈みゆく太陽 追い越してみたい
生まれてきたことを 幸せに感じる
かっこ悪くたっていい あなたと 風になりたい
何ひとついいこと なかったこの町に
涙降らす雲を つきぬけてみたい
天国じゃなくても 楽園じゃなくても
あなたの手のぬくもりを 感じて 風になりたい
天国じゃなくても 楽園じゃなくても
あなたに会えた幸せ 感じて 風になりたい
風に 風になりたい
この歌詞の中にある
『生まれてきたことを 幸せに感じる
かっこ悪くたっていい あなたと 風になりたい』
この部分が大好きです。
あなたが幸せに感じる事はどんな事ですか?
うりずんの季節
沖縄には「うりずん」と呼ばれる季節があります。
weblio辞典によれば沖縄地方の初夏の頃や旧暦の二・三月の頃の心地よく過ごしやすい季節を指します。
言葉の由来としては古語の「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされているという説があります。
沖縄ではこのうりずんの季節が終わると暑くジメジメとした梅雨に入ります。ですから本土のように新芽が出てきて潤うというよりは暑い夏に向かう前の、ひと時の清涼感のあるかけがえのない時期を「うりずん」と呼んでいると思います。
うりずんの季節の風は、からっとして爽やかです。太陽はさんさんと照っていますが暑くなく、海はその光を受けて眩しく輝いています。草花も燃えるように咲き誇ります。この時期に自然の中にいると生まれてきた事を幸せに感じられます。自然に抱かれている感覚になるのがこのうりずんの季節です。
うりずんの季節の思い出と琉球舞踊
うりずんの季節は心が踊ります。
うりずんの季節の旧暦の3月3日は沖縄の一部地域では「浜下り」があります。
それに関連した「サングヮチー」の行事があります。
私の住んでいる地域も「三月遊び」の伝統行事が現在も継承されています。旧暦3月4日の日に、地域の拝所に色とりどりの供物を供え、健康、家内安全の祈願をします。その後、鼓(チヂン)を打ち鳴らしながら各々が歌い踊ります。
それから、公民館へ移動して、各班ごとに舞が披露され宴を楽しみます。
私が幼い頃、明治生まれの祖母から聞いた話では、旧暦3月4日の「三月遊び」日は、年に一度の女性解放の日だったと聞きました。
その日女性達は一張羅の着物(晴れ着)を着て、最高のお洒落をして遅い時間まで踊り楽しんだそうです。
写真引用:TIDA
祖母がその行事の前になると、ウチナーカラジにさすジーファー(銀のかんざし)を、金細工職人にピカピカに磨かせていたことを、今も思い出します。
また、地域の年長者は自分の子や孫に踊りを習わせ、年に一度の「三月遊び」に踊らせることを誇っていました。私も幼い頃から参加し、そのことが琉球舞踊を本格的に習い始めるきっかけとなりました。
「三月遊び」に参加する女性達は、今も昔も美しく輝いていて、老いも若きも、踊る人も観る人もそれぞれが、うりずんの季節に咲く花のように美しく咲き誇ってる様に感じます。
冬が終わり、大地が潤い初め、自然も人も心躍る沖縄のうりずんの季節が、私は大好きです。
うりずんと「島唄」
THE BOOMの代表曲ともいえる曲に「島唄」があります。あの曲は邦楽の「ボヘミアン・ラプソディ」というくらいドラマティックな展開をする一曲です。
2005年、朝日新聞に「宮沢和史の旅する音楽」というシリーズが連載され、「島唄」の創作秘話が語られています。
「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。
2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)
本来なら爽やかな季節であるうりずんの季節~暑い夏に渡った悲しい沖縄での戦争。様々な思いを曲の中にこめている素晴らしい曲だと思います。語り継がれる名曲ですね。
そして、うりずんの季節は今年も繰り返しやってくる
今年も、本当に爽やかなうりずんの季節は沖縄にやってきました。しかし今回記事を書くにあたっていつもの年とは違う感覚を感じました。心地よく、爽やかな時期はずっと続くのではなく期間限定。だからこそ価値があり、人はそれを慈しむように過ごすのです。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!
■ポチッと押していただくと嬉しいです!■