海の色 | 非日常的日常ブログ

非日常的日常ブログ

日々過ごしていく中であった出来事や、なかった出来事、夢で見た出来事を淡々と綴ったり、綴らなかったりしていきます。

夜の帳が降りた海岸で、老人の背中が闇に溶けていくのを見た。波のざわめきに紛れるように、老人は沖へと泳ぎ出していった。



携帯が震える。老人からのメッセージだ。
「海の色の変わるところまで来ている」

父の運転する車は、夜の海岸線を必死に走った。叔父は助手席で沈黙を守り、後部座席では弟が不安げに膝を抱えている。車内には、言葉にできない緊張が満ちていた。

建物で急いで着替えを済ませ、弟と共に砂浜へ飛び出す。しかし、父と叔父の姿が見当たらない。一刻を争うはずなのに、なぜ?

その時、父の言葉が蘇った。「なるようにしかならない」

だが、それは諦めの言葉ではなかった。やがて遠くから叔父の声が響く。「見つけた!」

父と叔父が老人を両脇から支えながら、波打ち際をゆっくりと歩いてくる。老人の表情には、深い疲労と共に、どこか安らかな光が宿っていた。

「すまんな」と老人は私たちに向かって微笑んだ。「あそこまで行けば、きっと会えると思ったんだ」

誰もが察していた。老人は、三年前に亡くなった妻を追いかけていたのだと。

「海の色が変わるところで、おばあちゃんに会えましたか?」私は小さな声で尋ねた。


老人は首を横に振った。「いや、でも分かったんだ。まだ私の時じゃないってね」

翌朝、老人は普段通り、近所の子供たちに釣りを教えていた。その姿は、あの夜よりもずっと力強く見えた。

父の「なるようにしかならない」という言葉は、実は「だからこそ、今できることを精一杯やる」という意味だったのだと、私はようやく理解した。

海の色は、人の心のように日々変化する。けれど、その変化の先には必ず、新しい光が待っているのだと信じている。