人生は何が起こるかわからない。
この使い古された言い回しを、僕は53歳になった今、実感を込めて使うことができる。
1986年に21歳でデビット伊東、ミスターちんと3人でB21スペシャルを結成して以来、約20年、タレント・ヒロミとして芸能界の一線でやってきた。
テレビのレギュラー番組は途切れず、テレビ欄から名前が消えることもなかった。
空気の変化を感じたのは、40歳を迎える直前のこと。
プロデューサーやディレクターから「ヒロミさん、もうちょっと丸くなれない?」と言われることが増えていった。
何か、不祥事を起こしたわけではない。
しかし、潮が引くように出演番組が終わっていく。
僕は世間から、スポンサーから、「タレント・ヒロミ」が求められなくなっていることを強く感じた。
それでもしがみつき、テレビの仕事を続ける選択肢もあっただろう。
ただ、その先に待っていたのは、支えてくれた番組スタッフからの、
「ヒロミさん、つまらないから芸能界に席はないです」
という最後通牒だったとも思う。
僕は、求められていない感の中であがいて、しがみつくよりも自分の意思で線を引くことを選んだ。
「タレント・ヒロミ」を小休止させようと。
これは誰にも相談せずに決めた。
「俺、時代に合わなくなってきた」と感じたからだ。
おじさんと呼ばれる年齢になっての、初めての大きな挫折だった。
若いうちに売れず苦労して挫折感を味わいまくる人、50歳でリストラされて途方に暮れる人。
挫折と向き合うタイミングが違うだけで、誰もが一度は「きついな」という局面に対処しなくちゃいけなくなる。
人生は、そういうふうにできているのだと思う。
タレント・ヒロミを小休止し始めた頃から、20代のベンチャー企業の経営者たちと遊ぶ機会が増えた。
仕事に邁進するための一時の小休止を求める彼らから、
僕は、求められていない感の中であがいて、しがみつくよりも自分の意思で線を引くことを選んだ。
「タレント・ヒロミ」を小休止させようと。
これは誰にも相談せずに決めた。
「俺、時代に合わなくなってきた」と感じたからだ。
おじさんと呼ばれる年齢になっての、初めての大きな挫折だった。
若いうちに売れず苦労して挫折感を味わいまくる人、50歳でリストラされて途方に暮れる人。
挫折と向き合うタイミングが違うだけで、誰もが一度は「きついな」という局面に対処しなくちゃいけなくなる。
人生は、そういうふうにできているのだと思う。
タレント・ヒロミを小休止し始めた頃から、20代のベンチャー企業の経営者たちと遊ぶ機会が増えた。
仕事に邁進するための一時の小休止を求める彼らから、
「遊びを教えてください」
と言われ、釣りやウォータースポーツ、キャンプなど、いろんな遊びに連れ出した。
遊びのアニキと慕ってもらう一方で、僕は彼らからビジネスを学んだ。
そして、
遊びのアニキと慕ってもらう一方で、僕は彼らからビジネスを学んだ。
そして、
「ビジネスもおもしろそうだ」
「芸能界じゃなくてもやっていけるんじゃないか」
と思い、規模は比べれられないほと小さかったが、
「トレーニングスタジオ515」
を始めることにした。
「起業家ヒロミ」
「起業家ヒロミ」
になって、人を雇い、店舗を増やし、ビジネスの世界に足を踏み入れた。
芸能界とはまったく異なるルールと習慣。
小休止を取って別の世界に身を置くと、まったく違う景色が見えてきた。
それから約10年、2014年あたりからまた急に風向きが変わり始めた。
タレント・ヒロミが、求められるようになったのだ。
長い小休止の間、心のどこかで、
芸能界とはまったく異なるルールと習慣。
小休止を取って別の世界に身を置くと、まったく違う景色が見えてきた。
それから約10年、2014年あたりからまた急に風向きが変わり始めた。
タレント・ヒロミが、求められるようになったのだ。
長い小休止の間、心のどこかで、
「また俺みたいなキャラクターを、求めてくれる人が現れることもあるのかな」
とは考えていた。
しかし、本当にそうなるとは思っていなかった。
始まりはママのことを話すワンコーナー。
そこから4年で状況は、がらりと変わった。
正直、自分でも「なんで急に?」という気持ちが抜けない。
50歳になって再ブレイクなんて言われる日がくるとは夢にも思っていなかった。
変わったことと言えば、小休止の時間を経て、力の抜きどころが見極められるようになったことだろう。
しかし、本当にそうなるとは思っていなかった。
始まりはママのことを話すワンコーナー。
そこから4年で状況は、がらりと変わった。
正直、自分でも「なんで急に?」という気持ちが抜けない。
50歳になって再ブレイクなんて言われる日がくるとは夢にも思っていなかった。
変わったことと言えば、小休止の時間を経て、力の抜きどころが見極められるようになったことだろう。
10年、休んでみて、あのとき自分から身を引いた判断は間違っていなかったと思っている。
気持ちを半分、芸能界に残して、
気持ちを半分、芸能界に残して、
「出たいんだけど、出る番組がない」
「今でも呼ばれれば出ます」
とどっち付かずにやっていたら、次へ進めなかったはずだ。
引き際よく、実績も何もかも手放してしまうこと。
それが、次につながる評価に変わっていくんだと思う。
実際、戻ってきてから旧知のスタッフや先輩から、
「最近、力抜けていいよね」
と言ってもらえる。
ブランクがあったおかげで、
ブランクがあったおかげで、
「8割の力加減で、周りを活かすとうまくいく」
と気づけたのだ。
(『小休止のすすめ』ヒロミ&藤田晋、引用)