10月末に入院して、陣痛促進を開始しましたがなかなか本陣痛に繋がらず
お腹の張りの波形が1分間隔になっては遠のいていました。

バルーンで子宮口を開けて、破水して(させて?)
ようやく1日に本陣痛、胎児が降りてきた感覚があります。
最後に主治医の先生が手でキャッチした所で激しい破水みたいな音が続きます。
痛みはあまりなかったので、私も何だろう?と

上半身、助産師チームの「おめでとうございまーす、女の子の誕生でーす」
晴れやかな声を覚えています。
わ~殿より小さい~でも動いている、がんばれ~と思っていました。

一方、手当を続ける主治医側の「何だ?誰かドクター呼んで来て!」
「ん!これはどこからの出血ですか?!!!」と切迫した声も。

「何科ですかぁ?(何かのドクターをお呼びします?)←上半身チームの声」
「オレンジ!オールドクター!誰でもいい!!」という声と共に

急に咽喉が狭くなっていき咳込んでも息が出来なくなり
「コードブルー、至急LDR1へ・・・」という内線放送を聞いて
そこから記憶が途切れて途切れていきました。
先生が「大丈夫、悪い所ちょっと取っちゃったから安心して!」
せーの!で、そのままストレッチャーで運ばれて行き、完全に記憶が飛んでしまいました。
ふと、目が覚めると知らない部屋でした。
自分の中ではあの世とこの世を繋ぐ部屋なんだなぁと。
息が出来ているのに苦しいのは気管挿管され人工呼吸器を付けられたらしく

兄が来ていたので緊急で何かが起きたんだろうと思いました。
救命部のドクターが慌ただしくあちこちのベッドを覗いては処置をしていく
いわゆるICUの部屋でした。

全身をコンピューターで管理され、意識が戻ったり異常が起きると
色々な音楽が流れます。

すべての音声がゆっくり、途切れ途切れの重低音になり、視野が狭くなったり
ナースさんの言葉が京都の言葉になっていったり
ベッドが左右に閉じていって、最後にカーテンにくるくる巻きとられるような感覚があり、(頭の中がぼんやりしていますから)
最後なのかなぁ?医療廃棄物にとうとうなってしまう。とか
(多分幻覚や幻聴です)
殿が180cmくらいになってユラユラと横に立っていたり
主治医の先生が「こっちはまだ(蘇らないか)ぽぽちゃん人形でも抱かせてみようか」といっていたり。(完全に幻覚です)
でも、ダメかな~と思っても何度もスパゲティーのようにあちこち管で繋がれた状態のこの部屋に連れ戻され
とうとう亡父は迎えに来ませんでした。

そこへはどれくらいの間、居たのかわかりません。
てきぱきと身体を拭かれ血圧を測られ、傷の手当てをされCTと採血され
母と叔母と義母と、その後も頻繁に主人が顔を出して覗きこんでいます。
娘の写真が増える度に、早く抱っこしてあげたい、
NICUの先生から「明日にはお子さん乳児室へ移れるから安心して」と言われても
もしかして、何かあったのではないか?写真も合成と違うか?と不安でした。
でも手がパンパンで、首から下の間隔もなく動けない、
何度か回診があり、産婦人科の医長の先生がいらっしゃいました。

「何が起きたか覚えているかな?」
首を振る私、
「そりゃ良かった、いいんだよ後で説明するからいいよ、回復も順調そうだ、うん」
え~!何が起きたんですか!と思ってもしゃべれず。

その後、一本ずつ管を抜かれていき
「ちょっとごめんなさいよー」と挿管も外されました。
むせてケホケホ言いながら酸素を吸って、ようやく独特の苦しさから介抱されてきました。

経過観察後に自力呼吸数が増えて、一般病棟に運ばれていきました。

最初はむせずにうがいをする練習、目標は食べられて歩けるようになる事と言われました。
どうでも良い事に思いましたが、それがクリア出来ないとまた、あっちの部屋に運ばれちゃうと思って少しずつ頑張りました。

先にNICUから脱した娘は時々連れて来られて胸に乗せられたりエンジェルスマイルで元気づけてくれました。

懸命なサポートのお陰でお茶で咽喉を湿らせ、ゼリーを一口嚥下、
そのうち全粥から普通食になるまで・・・以外とかかりませんでした。

痛くないですか?じゃあ~5日目か、と先生がお腹を見て
お腹のホチキス止めをバチンバチンと外してテープを貼って帰っていきました。

改めて、開腹したんだなぁ?あれ?子供はつるりんと手で出して貰ったんだよね?と思いましたが
まぁ、いいか~何か悪い所があったんだろう、と思いました。
数日間、痛み止めを貰い、夜中に寝返り打ってちょっと違和感があると飲んでいました。
(どこまで鈍いのか・・・私)
一度痛みを感じたのは入院している事さえ忘れて夜中にトイレ!と思って
身体をひるがえして腹筋で起き上がり、ズシンと体中の圧がお腹に来た時でした。

でもうずくまっていたら収まったのでそんなひどくはないのかな。あせあせ

言われるがままシャワーを浴びて食べて歩いて、通常生活に戻ってきて
母乳をふくませてみたり、少しずつ母子同室したり、沐浴のレッスンを経て
先生からも、つらくなければ早いけどいいよと・・・退院許可が出ました。

正直、まだフラフラとします。けど殿と会いたかったし、自分のリズムで生活したかったので戻ってまいりました。


帰ってきてから主人から詳しい話を聞きました。

分娩時に弛緩出血が起きて血圧が40くらいまで下がり輸血量も10Lくらいだった事。
原因は、播種性血管内凝固症か羊水塞栓症かは今となってはわからない。
それが起こった理由をあげるとしたら、妊娠中の過ストレスと低栄養で
アルブミンがかなり低かった事から推測される。
とにかく子宮を摘出すれば助かる確率があがるので全摘を行ったという事。
卵巣などは残しても影響がなく出血が止まってきたので閉腹したという事
ベビーは瞬間心拍が下がったが帝王切開の準備中に子宮口が開いたので普通分娩で産めたとの事。
2472gで産まれたので一応保育器管理、念の為光線治療を2日行ったという事。

今後、気を付ける事というと・・・
輸血量から肝機能腎機能を定期的に経過観察する必要がある、とにかく栄養を摂りましょう。

じゃ、早速月曜日からお迎えを!と思ったら、まだ付き添いなし外出などはダメだそうです。(汗)
しばらく最低限の家事育児で引きこもり生活をする事になります。

とりあえずミルクとオムツや食料品をスーパーに行って買い溜めしてきました。

40週までがっつり栄養を吸い取って入っていた殿と比べて
泣き方も存在感も小さい女の子が新しい家族に加わりました。
ちょっと大変でしたがうっかり道端で産んでしまう事なく(汗)
母子ともに無事に戻って来れて良いお産でした。

皆さん、今後ともによろしくお願いします。m(_ _)m
苦しかった入院生活からリハビリを経て、無事に(強引に)退院して参りました。

殿、たくさん我慢させてしまってごめんね、これからもよろしくね。
母へ、何度も足を運ばせてしまって親不孝ですみません。
兄へ、とりあえず頼りになります。
主人へ、後は頼んだ。

そして娘へ・・・
あなたが無事に産まれてくれて嬉しかったです。
すぐに抱っこ出来なくてごめんなさい、
母乳とかもまだあまりあげられませんが出来る限りで、命を守りますからね。


さてと。。。いつから話を書こうか。
今回も悪阻耐久レースでしたが、殿の時よりずっと軽かったです。

入院中は向精神薬扱いになる薬まで没収、管理され、具合が悪くなる度に
ナースコールで呼んで薬を出して貰うのが辛かったです。

しばらく同じ院内にいても引き離されて抱っこしてあげられなくて
不安でいっぱいでした。

後悔はしておりません、私にとって精一杯で、良いタイミングで出産が出来て幸せに思います。


11月1日、産まれました。
但し、出血多量で私の身体が持たず、やっと一般病棟に移れました。

詳しくはまた退院してからになります。