色気漂う幕末の女スパイ!
井伊家の独裁に加担した元芸妓「村山たか」とは...
1862年、京都三条河原に縛り付けられた女性がいました。
好奇心旺盛な野次馬が集まりましたが、
誰ひとりとして彼女を助けようとするものはいません。
女性の名前は、村山たか(村山かず江)。
当時50歳前後だったといわれていますが、
端正な顔立ちで色気を感じさせる女性だったようです。
彼女の隣に建てられた高札(看板)には、
「この女、井伊直弼の懐刀・長野主膳の愛人である。大胆不敵な行動で悪事を働いてきた。
死罪に値するところ、減罪して晒すことにした」と書かれていました。
一体、彼女は何をしでかしたのでしょうか。
花の生涯
・芸妓からの愛人生活
1809年、村山たかは近江国(現在の滋賀県)で生まれました。
容姿端麗な彼女は三味線や茶道を得意としており、
20歳になると京都祇園下河原で芸妓となります。
下河原の芸妓は格式が高く、村山たかは上流階級の人々と交流を深めました。
なかでも、鹿苑寺・金閣の住職と男女の仲へ発展した村山たかは2人の男児を出産。
出産した子どもは私生児(落胤:父親に認知されない子ども)であったため、
村山たかは子どもを引き取って彦根に帰郷します。
このとき出会ったのが、井伊直弼でした。
井伊直弼は村山たかを気に入り、何度も逢瀬を交わします。
しかし、出世の影響で井伊直弼は江戸へ上京することに。
二人の恋人関係は数年で終わってしまいます。
その後、村山たかは井伊直弼を通じて長野主膳の妾になりました。
安政の大獄とスパイ活動
1858年〜1859年、井伊直弼は幕府に反抗する人々を処罰すると宣言しました。
当時京都に居た村山たかは、日本政府に属する日本初の女性諜報員として、
京都を拠点にする反幕府勢力の情報を横流し。
最終的に100人以上が処罰され、なかには切腹や打首に処された者もいました。
この独裁は「安政の大獄」といい、多くの人々の反感を買った結果、
井伊直弼は翌年に起きた「桜田門外ノ変」で暗殺されてしまいます。
2年後には村山たかも捕縛され、女性という理由で死罪は免れたものの、
京都三条河原で吊るし上げられました。
滋賀県彦根市にある「彦根城博物館」には、
村山たかを愛した「井伊直弼」に関する資料が展示されています。
気になった方は足を運んでみては...
村山たか女の墓 京都市











