東京漫遊記#浜町 | 春夏秋冬✦浪漫百景

春夏秋冬✦浪漫百景

季節の移ろいの中で...
歌と画像で綴る心ときめく東京千夜一夜物語

浜町

 

 東京都中央区日本橋浜町二丁目にあります。

東京都交通局(都営地下鉄)新宿線の駅で、中央区最東端の駅。

明治座前(めいじざまえ)の副駅名がありますが、

現在は車内自動放送のみで用いられています。

 街の東側には隅田川が流れ、

西側は歴史と伝統の残る人形町エリアと隣接する日本橋浜町。

人形町と共に東京有数の「粋な街」のイメージが定着しています。

 

 

 江戸時代から歴史が続く浜町。

ときには武士が暮らし、ときには芸妓が闊歩し、役者や作家にも愛された魅力あふれる街。

江戸時代は広大な大名屋敷や蔵屋敷などが立ち並んでいた浜町。

人形町など、職人たちが暮らす近隣の下町とは異なる、閑静な佇まいが広がっていました。

約260年続いた幕藩体制は廃止されると、浜町界隈は一変。

明治維新後、正式に「浜町」という町名がつき、

大名屋敷の土地は民間に払い下げられることになったのです。

 

 その跡地に建てられたのが、各式ある料亭や飲食店。

日本橋に隣接する地の利と大川(隅田川)に面した風光明媚な土地柄もあり、

華やかな料亭文化がこの地で開くこととなりました。

 当時、このあたりの敷地を占めていたとされるのが、

新政府設立の一翼を担った「薩長土肥」の旧藩主たち。

中でも広大な敷地を占めていたとされるのが、

肥後熊本藩の最後の藩主である細川 護久(15,795坪)。

次いで島津 忠義(13,794坪)、井上 馨(11,303坪)等が、

主な地主であったと記録されています。

 

-芸妓から女優へ。時の総理大臣も虜に

 芸妓の花街として、明治・昭和中期まで大いに賑わっていた浜町界隈。

その中で、もっとも人気を集めた芸妓として知られるのが川上貞奴です。

芳町(現・人形町)の芸妓置屋「浜田屋」の養女として育ち、芸妓に。

時の総理大臣、伊藤博文も贔屓にするほどの人気ぶりだったそう。

興行師で新派劇の父と呼ばれる川上音二郎と結婚し、女優として欧米興行へ。

日本初の女優として国内外で一世風靡し、

大正6年、浜町の明治座にて引退興行を行なったと言われています。

川上貞奴

 

 浜町といえば明治座ですね。

私は年に数回ですが明治座に行きます。

歌舞伎であったり、歌謡舞台や演劇、落語家、芸人、歌手、俳優さんらが演じます。

特に贔屓はありませんが(笑)

知人がチケットを持ってきてくれるので、それもかなりいい席です。

幕の合間に当館の食事処で食事をするんですが、まさに幕の内弁当を頂きます。

 明治6年(1873年)に喜昇座(きしょうざ)として創建され、

東京でもっとも古い歴史を持つ劇場。

歌舞伎からミュージカルまで、多彩な演目が上演可能な舞台設備があり、

客席数は1368席。演目により花道が登場します。

 花道の直ぐ側で観劇したこともあります。

 

 水天宮など徒歩圏内に見所が多く、東京観光を堪能できます。

遠方から知人友人、親戚縁者が上京した際は、浜町界隈を案内したらきっと喜ばれますよ。

 

東京都の日本橋浜町2丁目に鎮座する笠間稲荷神社東京別社は、

紋三郎稲荷とも称せられ、旧笠間藩主牧野氏の邸内社でした。

 

明治座壱番目 勧善懲悪覗機関 三枚続 (役者絵)

 

新富町 築地明石町 浜町河岸

鏑木清方最高峰の3部作