歴史の零れ話...諭吉は肉食 | 春夏秋冬✦浪漫百景

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季節の移ろいの中で...
歌と画像で綴る心ときめく東京千夜一夜物語

 

 福澤諭吉

 

 明治時代の思想家・教育家。

豊前中津藩士の子として生まれ、20歳から長崎で蘭学、砲術を学び、

その後、緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾で学ぶようになります。 

24歳の時には江戸に出て、蘭学塾を開くかたわら、独学で英学を学びます。 

その後、幕府の遣米使節に志願し3度欧米に渡り、進んだ文化や思想に触れました。

 

  明治維新後は、塾を芝(現在の三田)に移して慶應義塾と命名し、

教育と著作を通じてイギリスの経済学と自由主義を基礎にした新思想の普及に努めました。

主な著書に『学問のすゝめ』などがあります。 

 

■日本に牛肉文化を広めた諭吉の一皿 「コールドスタート&こまめに裏返し」調理。

「牛ステーキとコーヒー」 

【材料】(2人前)  

牛ステーキ用(1.5cm厚さ):2枚 

 アスパラ:4本  

 にんじん(orにんじんのグラッセ):6cm分  

塩:少々   サラダ油:大さじ1/2   

ホットコーヒー:2杯  

[A]  砂糖:小さじ1  

 バター:10g   

塩:少々  

[B]  酒:大さじ2   しょうゆ:大さじ1 

【作り方】  (1)にんじんを四~六つ割りに切ってからフットボール型に皮を剥く。 

(2)鍋に入れて[A]を加えてからかぶるくらいの水を注いで火にかける。   

煮立ったら弱火にして火を通し、再び火を強めてテリが出るまで煮詰める。  

(3)その間にアスパラを茹で、牛肉を室温に戻して筋切りし、塩を振る。 

(4)フライパンに油を熱して肉を並べる。焼色がついたら裏返し、1分ほど焼いて器に盛る。  

(5)空いたフライパンに[B]を入れ煮立て、肉にかけ、にんじんとアスパラを盛り付ける。

   コーヒーを添える。 

■牛肉の厚切りステーキとコーヒーを楽しんだ福澤諭吉 

 「天は人の上に人を造らず」は、福澤諭吉(1835~1910)の

『学問のすゝめ』にある有名な言葉。

このように書き出すと堅苦しい人物に見えるかもしれませんが、

面白い人物で酒を好み、子供の頃から飲んでいたそうです。 

幼少の頃、月代(さかやき/頭のてっぺんを剃り上げた髪型)を剃る時、

盆の窪(くぼ)を剃るのが痛いため、諭吉は嫌がりました。

 仕方なく、母は「酒をあげるから」といって剃ったという逸話が残されています。 

諭吉は豊前(大分県)中津奥平藩の士族の子として生まれ、20歳で長崎に行き、

漢字ばかりではなく、オランダ語も習得しました。

 翌年には大坂に出て、緒方洪庵の蘭学塾である「適塾」に入門、

科学知識を身につけ、ここでも才能をぐんぐん伸ばし、2年後には塾長になっています。

 そして24歳の時に江戸に入り、築地の藩屋敷の長屋を借り、蘭学塾を開き、

慶応4年(1868/この年より明治となる)、塾を芝に移し慶應義塾とし、

現在の三田に移ったのは明治4年(1871)のことです。 

 諭吉は語学が達者で、明治に入るとオランダ語に加えて英語もマスターし、

新しい時代のライフスタイルも切り開いていきます。 

明治になって以降は、日本人の体格改造を目指し、肉食推奨の宣伝にも力を入れます。

著しく体格の劣る日本人を西洋の人たちと同等とするためには、

ヨーロッパの食文化を取り入れる必要性を痛感したからに他なりません。

  自らも牛肉の厚切りステーキを好んで平らげ、

食後にはヨーロッパの味がするほろ苦いコーヒーを楽しんでいました。

ステーキにはじゃがいもやにんじんなどが添えられ、高タンパクなヘルシー料理です。

牛肉などの動物性タンパク質は意欲を高め、生涯現役力を強くしてくれたのです。 

酒好きで自由奔放に生きた諭吉は、67歳で他界しました。

 

 その諭吉は、肉食だけでなく、ほかの洋食も好んで食したようです。

『西洋衣食住』では、「西洋人は箸を用ひず。

肉類其外(そのほか)の品々、大切(おおぎり)に切りて平皿に盛り、

銘々の前に並べたるを、右の手に庖丁を以てこれを小さく切り、

左手の肉刺(にくさし)に突掛て食するなり」と西洋の食習慣を紹介しているほか、

ビールやワインといった西洋の酒についても紹介しています。

 諭吉が晩年に友人に出した手紙には、

「朝、(中略)食前に牛乳に紅茶かコツヒー(コーヒー)を加へ、パンにバタあれば最妙なり。

宅にては毎朝用ひ候(後略)」とあり、自宅での朝食はほぼ洋食であったことがうかがえます。