端午の節句~鯉幟
屋根の上にある物干し場でくつろぐ女性たちと赤ちゃん。
背後には端午の節句を祝う幟(のぼり)が見えます。
また頭上には巨大な鯉のぼりも(葛飾北斎 画)
鯉のぼりは江戸時代の中期頃に誕生したと言われています。
江戸時代には、鯉が滝を登る仕掛けのおもちゃもありました。
端午の節句には、当時から男の子の誕生と健やかな成長を願い、
外に飾る幟(のぼり)にも鯉が描かれていました。
そこから鯉を吹き抜けにしようと考え出されたといわれています。
人生で遭遇する難関を鯉のように突破して、
立身出世して欲しいという願いが込められています。
中国の神話や伝説に登場する「龍」が関係しているといわれています。
難関を突破して大出世を遂げた状態を意味する慣用句、登竜門。
(広重「名所江戸百景 水道橋駿河台」)
「五月雨が晴れると鯉の竹のぼり」
「滝のぼり」と「竹のぼり」の語呂合わせもいい。
広重の「名所江戸百景 水道橋駿河台」☝️
画面を覆い尽くすかのように大きく大胆に描かれた一匹の鯉のぼり。
晩年の広重が多用し近接拡大したモティーフを手前に大胆に描き、
極端なまでに遠近を強調する構図。
印象派をはじめ19世紀後半のヨーロッパ人に大きなインパクトを与えたこともうなづける。
五月晴れの大空を気持ちよさそうに泳ぐ鯉幟。生み出したのは町人。
戦の陣地に立てる旗状の幟(のぼり)や吹流しを掲げた武家に対抗したのだ。
一本の竿に何匹もの鯉のぼりが並んで飾られるようになったのは、
明治以降のことで江戸時代は一匹のみ。
(喜多川歌麿「五節供 端午」)
端午の節供の祝いに訪れた客に挨拶する母と、
腰に飾り刀を差して母を見上げる男児。
鯉のぼりは江戸時代の中期頃に誕生したと言われています。
江戸時代には、鯉が滝を登る仕掛けのおもちゃもありました。
端午の節句には、当時から男の子の誕生と健やかな成長を願い、
外に飾る幟(のぼり)にも鯉が描かれていました。
そこから鯉を吹き抜けにしようと考え出されたといわれています。
鯉のぼり、吹流し、
その家の家紋と母方の家の門の両方を染めたものが一対となった幟、
魔除けの鍾馗の旗が見えます。
鯉のぼりの色は黒や赤、青が一般的ですが、
鯉のぼりが飾られるようになった江戸時代は、
男の子を表す黒の真鯉一匹のみでした。
明治時代になると赤い緋鯉が加わり、
黒い真鯉は父親、赤い緋鯉は子どもを表すようになります。
布に描かれた鯉と鍾馗様
江戸っ子気質に関わる表現はいろいろある。
「粋でいなせな江戸っ子」、「江戸っ子は宵越しの銭は持たねえ」、
「火事と喧嘩は江戸の華」。
中でも好きなのは、江戸っ子らしい喩えを使ったこの表現。
「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し」
巨大な鯉のぼりが空を泳ぎ、屋敷のなかには武具飾りや武者人形が飾られています。
(『江戸砂子年中行事 端午の図』揚州周延 画)