ときめき映画館#「春琴抄」 | 春夏秋冬✦浪漫百景

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季節の移ろいの中で...
歌と画像で綴る心ときめく東京千夜一夜物語

「春琴抄」

春琴抄(しゅんきんしょう)は、1976年製作の日本映画。

原作は谷崎潤一郎の同名小説。

監督は西河克己。山口百恵主演文芸作品第6作。

公開時の惹句は、

「あなたの愛と美しさを永遠に灼きつけた私の目はもう何も見る必要はありません...

銀色に光る鋭い針の先が二人を残酷なまでに哀しい愛だけの世界へ導いた」である。

キャスト

  • お琴:山口百恵
  • 佐助:三浦友和
  • 鵙屋安佐衛門:中村竹弥
  • 美濃屋利太郎:津川雅彦
  • 春松検校:中村伸郎
  • しげ:風見章子
  • お良:井原千鶴子
  • 富三郎:若杉透
  • 温井与平:桑山正一
  • 千吉:品川隆二
  • 市蔵:小松方正
  • 善助:名古屋章
  • お種:北川たか子
  • お吉:榊原郁恵(新人)
  • 芸妓:絵沢萌子
  • 芸妓:白川望美(現・志麻いづみ)
  • 若旦那:片岡功
春琴(しゅんきん)
本名は鵙屋琴。9歳で視力を失い以後は三味線の師匠となる。

春松(しゅんしょう)
春琴の師匠。

温井佐助(ぬくいさすけ)
春琴の1番弟子。

鴫沢てる(しぎさわてる)
春琴の2番弟子。

美濃屋利太郎(みのやりたろう)
雑穀商の息子。
 
あらすじ
大阪の薬商人の家に生まれ育った春琴は9歳の時に視力を失って、
以後は三味線の稽古に励んでいきます。
そんな彼女に付き添って何くれとなく世話を焼いているのが、奉公人の佐助です。
佐助自身も三味線奏者の道を歩んでいくことを決意し、
春琴の罵倒にただひたすら耐え忍びます。
恋人でもなく夫婦でもない関係を続けていくふたりに、
悲劇が降りかかってくるのでした。
鵙屋琴は大阪道修町に7代に渡って続いてきた、
薬商人の家に次女として文政12年(1829年)の5月24日に生まれます。
幼い頃から容姿端麗な少女として近所でも有名で、
読み書きも得意で踊りに秀でていました。
9歳の時に不幸にも眼病を患い視力を失ってしまい、
舞踏家としての夢は諦めざるを得ません。

春琴がその代わりに歩んでいったは、三味線の演奏家としての道のりです。
自宅から1キロほど離れた場所にある靱という町に住んでいる、
名人・春松に弟子入りを志願して稽古に精進して腕を磨いていきます。
15歳を迎えるあたりからは春琴の才能はみるみるうちに開花していき、
同門の弟子たちの中にも敵う者はいません。
師匠の家まで彼女の手を引いて連れていくのは、
温井佐助という春琴よりも4歳年上の少年の役割です。
本来であれば春琴の実家で丁稚奉公に励んでゆくゆくは商人となるはずでしたが、
佐助は春琴に心惹かれていき彼女と同じく三味線奏者を目指すことになりました。
春松が弟子に手ほどきをする稽古場は奥の中2階にあり、
春琴を案内した佐助は一旦控の間に下がって待機しているのがお約束です。
漏れ聞こえてくる音から自然と音曲に慣れ親しむようになった佐助は、
丁稚たちが寝静まった深夜遅くにコッソリと三味線を持ち出して、
見様見真似で練習するようになりました。

佐助の隠された才能に気付いていた春琴は、彼と三味線の師弟関係を結びます。
春琴は元来が気性の激しい性格になり、弟子となった佐助の至らなさを烈しく詰り、
時には演奏に使う撥を握りしめて殴りつける始末です。

気弱な佐助は涙を流しながらも、稽古と折檻に耐え忍び逃げ出すことはありません。
そんな中で突如として降って湧いたのが、春琴の妊娠騒ぎです。
鵙屋の両親から問い詰められても、春琴は頑として相手の男性の名前を白状しません。
やがて春琴は佐助にそっくりな男の子を出産しましたが、
ふたりは夫婦になることもなく産まれた子は養子に出されていきました。
お稽古に着ていく着物から髪飾りに、お化粧に使う糸瓜の水からウグイスの糞、
果ては愛玩用に飼っている雲雀や鸚鵡まで。
春琴は裕福な家庭に生まれ育ったせいか、
金遣いが荒く周囲の人たちを困らせてばかりです。

その一方では三味線の上達ぶりに関しては留まることを知らずに、
師匠の春松が亡くなったのを機会に独立して看板を掲げることを認められます。
佐助を引き連れて道修町の実家を出た春琴が終の棲家としたのは、
淀橋筋に構えた一戸建てです。

新たに鴫沢てるという女性の弟子も加わって、春琴一門の船出となりました。
てるの話では春琴の美しさを目当てにして三味線を習いにくる男性も多かったらしく、
土佐堀の雑穀商人の息子で放蕩者の美濃屋利太郎もそのひとりです。

元々才能もなく鼻から三味線に興味がなかった利太郎に対して、
春季は殊更厳しく接します。
遂には撥で額を叩き割られて流血した利太郎は、
「覚えてなはれ」の捨て台詞を残して姿を眩ますのでした。
春季に危害を加えたのは利太郎であるとか、
北ノ新地に住んでいた芸者の卵であるとか諸説飛び交っていましたが、
未だにその真相は明らかになっていません。

3月も終わりを告げるある日の午前3時頃、
佐助は春琴の悲鳴を聞いて飛び起きました。
何者かが雨戸をこじ開けて侵入して、
鉄瓶に入った熱湯を春琴の顔にかけたようです。

それ以降春琴は顔面を包帯で覆った変わり果てた姿になり、
通いの医師の他には佐助にさえ素顔を見せようとはしません。

佐助は美しかった頃の春琴の姿だけを胸の内に焼き付けようと、
自らの両目に縫い針を突き刺してしまいます。
ふたりは共に光を失った三味線奏者として、
弟子のてるに傅かれながら天寿を全うしました。

春琴は明治19年(1886年)10月14日、58歳でこの世を去ります。

春琴亡き後は佐助が一門の師匠となり、
弟子たちの看護を受けながら83歳の大往生を遂げました。
ふたりのお墓は大阪市内の下町寺にあり、
死後も寄り添うように並んでいるとのことです。
 
浄土宗如意珠應山極楽院 大蓮寺
春琴・佐助のお墓詣りの場面として当山が紹介されてます。
もちろんフィクションですから、実際にお墓はないのですが、
現場を彷彿とさせる景観や地形を、住職が辿って紹介しました。

 

谷崎潤一郎が「春琴抄」で、その妻松子夫人への思慕を春琴と佐助に託した、

日本近代文学史上屈指の名作として広く知られており、

道修町が舞台となっていると道修町の史記に書かれている。


石碑には地唄筝曲の人間国宝 菊原初子師による「春琴抄の碑」の文字と、

谷崎潤一郎の原稿からとった「春琴抄」冒頭部分の自筆が刻まれていた。

 

春琴にも佐助にも特定のモデルはなく、全く創造された人物なのですが、

 春琴の人物造形に影響を与えたのではないかと言われているのが、 

人間国宝だった箏の演奏家・菊原初子です。 

初子の父、菊原琴治は、谷崎に地歌を教えていましたが、

 目の不自由な父の手を引いて世話をする初子の姿が、 

物語の想をあたえたと巷間言われています。 

初子の生家は、物語の舞台となった道修町の一筋北、伏見町にありました。 

余談ながら、菊原初子は、1899年生まれで2001年没、

と 19世紀、20世紀、21世紀と、

3つの世紀にまたがって生きた方でした。